東光院は本妙寺塔頭の日蓮宗寺院。
加藤清正が東光院日延を招き、
玉名郡南関に開創されましたが、
元和2年(1616)に本妙寺山内に移転し、
現在に至っているようです。
「東光院」。
立派な本堂はそれ程古くはない模様。
境内は綺麗に整備されています。
境内にある墓地には、
小野鎮幸の墓所があります。
「小野鎮幸墓」。
小野鎮幸は立花道雪に仕え、
生涯で22度の大戦に参加しており、
全身に67ヶ所の傷を体に刻み、
68枚の感状を受けた剛の者でした。
由布惟信と共に立花両翼と称えられ、
道雪の死後は立花宗茂に仕え、
家中最大の5000石を賜っています。
宗茂の改易後は加藤清正に仕えますが、
流浪の旧主君に幾度も金を送り、
加藤家家臣として慶長14年(1609)に死去。
後に宗茂は再興して柳河藩に復帰した為、
跡を継いだ19代小野茂高を呼び戻し、
その鎮幸の忠節に報いました。
以降小野家は代々家老家を務め、
柳河藩立花家の重臣として続いています。
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