明治9年10月24日。
明治政府への不満を抱く敬神党は、
熊本鎮台司令官種田政明及び、
熊本県令安岡良亮を襲撃し、
両名の他に役人4名を殺害しました。
その後に熊本城内の熊本鎮台を襲撃し、
砲兵舎を制圧していますが、
翌日には政府軍が駆けつけて反撃。
幹部らは次々に討死してしまい、
敬神党は熊本城から退却しています。
樹下一雄、楢崎楯雄、椋梨武毎、
織田寿治、井村浪平の五士は、
士族大矢野源水に匿われましたが、
協議の末に再挙の見込み無しと判断。
鳴岩で潔く腹を切る事としました。
「鳴岩」。
岩の中から水の流れる音がするという岩。
岩の割れ目から清水が噴き出しています。
「敬神党五士自刃遺蹟」。
五士はこの場所を死に場所と定め、
大矢野宅で決別の宴が開かれました。
大矢野の好意で酒肴が振舞われますが、
樹下は腹から食べ物が出ると見苦しいと、
丁重に食事を断っており、
楢崎は食い納めと喜んで食べたとされ、
各々が最後の時を過ごしたようで、
宴の後にこの地で五士は腹を切っています。
「鳴岩の湧水」。
現在は少しの水しか湧き出てませんが、
昔はもっと大量に水が出ていたようです。
平成の名水百選[金峰山湧水群]のひとつ。
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