慶応2年8月1日。
長州藩との戦いで不利となった小倉藩は、
小倉城を自焼させ香春に撤退しました。
家老島村志津摩は藩兵を再編し、
金辺峠と狸山に防衛拠点を置いて、
勢いに乗る長州藩兵を迎撃。
金辺峠は総司令官である島村が守り、
狸山には同じく家老の小宮民部… 続きを読む
福岡県北九州市 須佐神社/狸山古戦場跡
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慶応2年8月1日。
長州藩との戦いで不利となった小倉藩は、
小倉城を自焼させ香春に撤退しました。
家老島村志津摩は藩兵を再編し、
金辺峠と狸山に防衛拠点を置いて、
勢いに乗る長州藩兵を迎撃。
金辺峠は総司令官である島村が守り、
狸山には同じく家老の小宮民部… 続きを読む
豊北町阿川にある阿川八幡宮。
創建は鎌倉時代の弘長年間とされ、
阿川の開発と共に創建されたようで、
領主の阿川氏三家、大友家、
そして阿川毛利家の崇敬を受けました。
「阿川八幡宮」。… 続きを読む
慶応3年3月17日。
天花に置かれた長州藩の火薬庫が爆発し、
作業に従事した16人が爆死しました。
朝四ッ半時(午前11頃)に爆発して炎上し、
九ッ時(正午頃)に鎮火したという。
施設は水車等を含め全て焼失したようです。
その犠牲者16人の墓が、
龍福寺の墓地に現存しています。
「山門」。
龍福寺は建永年間(1206‐1207)の創建で、… 続きを読む
法明院は平安時代創建の古刹で、
元は長徳寺という天台宗寺院でしたが、
後に荒廃して戦国期に九江滋淵が再興。
曹洞宗の寺院となっています。
「法明院」。
本堂… 続きを読む
光明寺墓地にある奇兵隊士の墓。
「奇兵隊伊東禎三祐久墓」。
奇兵隊士伊東禎三の墓。
小倉城を自焼させた小倉藩は、
香春に本陣を置いて防戦を構えを見せ、
秋月街道の要所金辺峠を固めると共に、… 続きを読む
丸山招魂場は美祢市伊佐町の丸山にあり、
伊佐周辺出身の戦死者を招魂しています。
「丸山招魂場」。
丸山招魂場の設立時期は不明ながら、
禁門の変から大東亜戦争まで、
伊佐周辺の戦死者の招魂墓が並びます。
その数は正確に数えていませんが、
ざっと見て200柱以上はある模様。
半数は大東亜戦争の戦死者でした。
幕末~西南戦争… 続きを読む
小倉にある曹洞宗の寺院宗玄寺は、
元々小笠原宗家初代小笠原秀政により、
信濃国松本に創建した寺院。
※始め臨済寺と称していましたが、
秀政の死後に宗玄寺に改めています。
小笠原家の小倉藩転封に伴ない、
小倉城下の… 続きを読む