平家」タグアーカイブ

福岡県北九州市 甲宗八幡神社

甲宗八幡神社は門司にある神社で、
宇佐神宮より八幡神岩清水に分祀する際、
門司関で瑞兆が起こった為、
これを喜んだ清和天皇の勅願により、
八幡神が分祀されて創建。
神功皇后着用の甲冑が奉斎されたという。

壇ノ浦の戦いの際は… 続きを読む

福岡県北九州市 隠蓑安徳天皇御陵

古今東西どこにでも生存説があります。
悲劇的な死を遂げた人物や英雄達が、
どこかで生きていて欲しいとする願望が、
民衆の間で根付く事はよくある話。
源義経ジンギスカンになった説や、
明智光秀南光坊天海になった説。
真田幸村西郷隆盛等も生存説があって、… 続きを読む

下関市彦島 十二苗祖墳墓

かつて彦島引島と呼ばれていいました。
約800年前の保元二年(1157)1月。
保元の乱に敗れて都落ちし、
河野通次九州へ落ちのびようと、
※この通次は河野家系図に記載なし。
関門海峡を渡っていましたが、
夕日が引島の瀬に落ちかかって美しく、
これに打たれて夜露をしのごうと上陸。
翌朝に家臣らと共に島内を調べると、… 続きを読む

下関市彦島海士郷町 身投げ岩

壇ノ浦の戦い平家が敗れた為、
平家に仕えたの女官雑仕女達は、
彦島の平家一門の住居跡や、
漁師の家に匿われて潜んでいましたが、
彼女達は源氏の兵士達の格好の餌食となり、
陵辱の限りを尽くしました。
多くは乱暴を受けた後に殺され、
命を助けられた者も自ら命を絶ったという。

彦島老町にある身投げ岩続きを読む

兵庫県佐用郡 常勝院/森俊滋墓所

兵庫県西端内陸部にある佐用町大畑は、
ぶどう栽培等が行われている小さな集落で、
源平合戦後に平知盛の子平知忠が落ち延び、
ここに住み着いたと伝わります。


兵庫県佐用郡佐用町周辺(常勝院の場所)。

この佐用町大畑の小さな集落に、
三日月藩9代藩主森俊滋の墓所があり、
また知盛を慰霊する五輪塔もあります。

「… 続きを読む

下関市彦島 清盛塚

彦島は京から落ち延びた平家の最後の砦
平清盛の子である中納言平知盛が、
清盛の遺骨をこの彦島に納骨しています。
それが今回ご紹介する「清盛塚」。


清盛塚は小高い丘陵にあり、
民家の路地を抜けて山道に入ります。


竹やぶの道を進みます。


これが清盛の墓石。
長年無銘のまま放置されていましたが、
昭和4年に清盛塚と刻まれたそうです。
何故この石が清盛の墓ってわかったのかな?
この下に遺骨があるのでしょうか?… 続きを読む