延寿寺は川尻にある天台宗の寺院。
西南戦争時に西郷軍の野戦病院となり、
各地から薩軍の戦死傷者が運ばれ、
850余名が埋葬されました。
後年になって遺骨は故郷に戻り、
その殆どは改葬されましたが、
境内に慰霊碑が建立されています。
「本堂」。… 続きを読む
「慰霊碑」タグアーカイブ
鹿児島県日置市 永吉招魂碑
永吉小学校の北側にある稲荷山に、
西南戦争での戦死及び戦病死者を祀る為、
明治12年に招魂碑が建立されています。
「招魂碑(左)」、
「日清日露戦役忠魂碑(中央)」、
「日華事変太平洋戦争戦歿者慰霊碑(右)」。
西南戦争の戦死者の招魂碑と、
日清日露戦役… 続きを読む
三重県四日市 忠衛門碑
四日市市西大鐘町の県道9号線沿いに、
※員弁四日市線。
忠衛門碑という慰霊碑が建っています。
この辺りは忍藩の飛地だったとのこと。
「忠衛門碑」。
世直し一揆が盛んだった慶応年間。
相次ぐ不作に西大鎮村の村役野呂忠衛門は、
忍藩の代官所に年貢免除を嘆願し、… 続きを読む
下関市阿弥陀寺町 与次兵衛ヶ瀬の碑
阿弥陀寺町の姉妹都市ひろばという場所に、
与次兵衛ヶ瀬の碑があります。
「与次兵衛ヶ瀬の碑」。
関門海峡は狭い場所で約650m程、
そこに1日約510隻の船が行き交い、
多くの船舶が通行していますが、
やはり現在も海運の難所でとのこと。
現在は浅瀬の除去、信号やブイの設置、
浚渫工事等で安全が保たれていますが、
昔はもっと危険な海峡でした。
その最大の難所が与次兵衛ヶ瀬… 続きを読む
島根県出雲市 前原一誠之碑
前原一誠は神風連の乱に呼応し、
明治9年10月28日に萩で挙兵。
約200名で県庁襲撃を計画しますが、
この動きは事前に察知された為、
方針を転換して山陰道を東上します。
しかし虚報によって萩に戻り、
政府軍と萩で交戦しますが戦況は悪く、
状況を打開する為に幹部5名と共に離脱。
東京に出て天皇に直訴しようとしますが、… 続きを読む
福島県白河市 仙臺藩士戊辰戦沒之碑
会津街道と奥州街道の分岐点の女石に、
仙台藩戦死者の慰霊碑が建てられています。
仙台藩は白河戦争(白河口の戦い)で、
参謀坂本大炊以下150余の戦死者を出し、
各地でその屍が集められてこの場所に埋葬。
地元有志によって供養塔が建立され、
後に慰霊碑が建てられました。
「仙臺藩士戊辰戦沒之碑」。… 続きを読む
福島県白河市 稲荷山公園
稲荷山は白河戦争(白河口の戦い)の激戦地。
奥羽越列藩同盟軍は稲荷山に兵力を集中し、
新政府軍を迎え撃ちます。
しかしここを攻撃する新政府軍は囮で、
二手に分かれた別動隊が、
側面から白河小峰城を攻撃。
瞬く間に落城して稲荷山は包囲され、
同盟軍は敗走して惨敗となりました。
「稲荷山公園」。
稲荷山は史跡公園として整備されています。
山頂から新政府軍が布陣した… 続きを読む