光明寺は延徳年間(1489-1492)に、
真宗本願寺派8世蓮如上人の弟子釈正善が、
西市に御堂を建立した事に始まるとされ、
その後は内日、幡生へと移転して、
享保17年(1732)に現在地に移転したという。
「光明寺」。
大東亜戦争… 続きを読む
下関市細江町 光明寺
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光明寺は延徳年間(1489-1492)に、
真宗本願寺派8世蓮如上人の弟子釈正善が、
西市に御堂を建立した事に始まるとされ、
その後は内日、幡生へと移転して、
享保17年(1732)に現在地に移転したという。
「光明寺」。
大東亜戦争… 続きを読む
南溟寺の境内は眞鍋城の跡地とされ、
楠木正成の家臣真鍋氏の居城だったという。
その後廃城となって荒れていた地に、
長泉寺が移ってきて南溟寺となり、
伯太藩が立藩されて渡辺家が入封すると、
藩主家菩提寺となっています。
※長泉寺は渡辺家の菩提寺でした。
「南溟寺」。
真宗大谷派… 続きを読む
幕末に存在した藩の藩主家墓所を訪ね、
その場所などを調べていますが、
水口藩加藤家墓所はwikipediaの情報では、
京都市東山の大谷墓地となっています。
しかし家祖である加藤嘉明は大谷祖廟で、
次代加藤明成は… 続きを読む
西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山。
その境内は世界遺産にも登録されてます。
本願寺は親鸞の廟堂を曾孫覚如が寺院とし、
8世蓮如の代に迫害を受け越前吉崎… 続きを読む
安志藩小笠原家の領内菩提寺は法性寺。
小笠原長興が安志藩に入った際に建立され、
小笠原家の庇護を受けて隆盛しました。
廃藩後は規模を縮小しています。
「法性寺本堂」。
本尊は木造薬師如来座像。
堂内に藩主一族の位牌が安置されており、
老朽化の為にSRC製となっています。
歴代藩主のうち領内で死去したのは、
2代… 続きを読む
大洲鉄然は覚法寺住職大洲雪道の次男で、
右田の大田稲香、柳井の月性に学びました。
後に階位を得る為に西本願寺を訪ねますが、
手数料10両を求められた事に憤慨し、
出奔して堺で剣術道場を開きます。
どこで習得したかわかりませんが、
鉄然は剣、弓、やり、砲術にも長けており、… 続きを読む
[げっしょう]の名を持つ勤皇僧が、
幕末期に二人いました。
一人は清水寺成就院の住職で、
西郷隆盛と入水自殺した尊攘派の僧月照。
もう一人が海防僧と呼ばれた月性でした。
月性は妙円寺… 続きを読む