幕末に存在した藩の藩主家墓所を訪ね、
その場所などを調べていますが、
水口藩加藤家墓所はwikipediaの情報では、
京都市東山の大谷墓地となっています。
しかし家祖である加藤嘉明は大谷祖廟で、
次代加藤明成は東大谷墓地となってました。
それぞれ大谷の名称となっていますが、
大谷墓地は真宗本願寺派で、
大谷祖廟、東大谷墓地は真宗大谷派で、
同じようで別の宗派です。
水口藩のあった甲賀市に問い合わせると、
歴代藩主は大谷祖廟であるという。
やはりwikipediaはあてにならん・・。
大谷祖廟は浄土真宗の宗祖親鸞の墓所で、
東本願寺にあった親鸞と歴代法主の墓を、
14世琢如が現在地に移転したもの。
※ちなみに西本願寺には、
大谷本廟という親鸞の墓所があります。
「表唐門」。
大谷祖廟の総門。
創建時期が不明だったようですが、
平成20年の改修工事の際、
文久2年に創建されたとわかったようです。
「本堂」。
元禄14年(1701)に建立の総欅造の本堂。
本尊は阿弥陀如来立像。
「御廟」。
親鸞及び門徒の遺骨が納骨されてます。
この裏手に武家墓と呼ばれる場所があり、
加藤嘉明らの墓があるようですが、
全く覗き見る事も出来ません。
京都名家墳墓録によれば、
東大谷廟所の直ぐ北に位し、一域を劃し、
加藤家累代の塋在り、西面して墓門を備ふ、
塚は各方半間石を築き上に一樹を植ゑ墓標とし
以下歴世の皆同形を並ぶ、とあります。
またここには元新選組隊士島田魁の遺骨も、
納骨されています。
島田は箱館戦争で敗れて謹慎処分となり、
許された後は京都に戻り、
剣術道場を開いていたようですが、
時代は剣術を欲しなかった為、
道場を畳んで西本願寺の夜間警備員となり、
明治33年に勤務先の西本願寺で倒れ死去。
東大谷墓地に葬られていましたが、
※西本願寺で死去していますが、
東本願寺の東大谷墓地に葬られました。
平成14年に墓石が撤去されて、
遺骨が御廟に納骨されたようです。
■関連記事■
・滋賀県甲賀市 水口城跡
水口藩加藤家の居城跡。
・京都府京都市 西本願寺
島田魁が務めていた西本願寺。