北政所は豊臣秀吉の菩提を弔うため、
東山に高台寺を創建しています。
現在臨済宗ですが創建時は曹洞宗でした。
建立には徳川家康が多額の援助をしており、
普請掛として堀直政が任じられます。
「庫裏」。
拝観順路入口に位置する庫裏。
庫裏の左側が拝観入口です。
拝観料600円。
湖月庵、鬼瓦席、遺芳庵と茶室を過ぎ、
方丈裏手より庭園へ。
「高台寺庭園」。
小堀遠州作庭の高台寺庭園。
東山の借景が美しい池泉回遊式庭園で、
国指定名勝となっています。
「開山堂」。
元々は北政所の持仏堂だったとされ、
中興開山の三江紹益の木像を祀る堂となり、
中央に三江紹益像、
右に木下家定と雲照院の像、
左に普請掛の堀直政の像を安置しています。
堂の天井は秀吉の御座舟の部材と、
北政所の御所車の部材が用いられたという。
入母屋造本瓦葺。
「霊屋」。
北政所が眠る霊屋。
中央に大随求菩薩、右に豊臣秀吉の坐像、
左に北政所の片膝立像が安置されています。
宝形造檜皮葺。
傘亭、時雨亭への道の途中。
位置的には霊屋のすぐ隣あたりに、
津和野藩初代亀井政矩の墓所があります。
「前豊州太守悟叟浄頓大居士」。
津和野藩初代藩主亀井政矩の墓。
政矩は秀吉に仕えた亀井茲矩の次男で、
後に徳川秀忠に近習として仕え、
父の跡を継いで鹿野藩主となり、
坂崎直盛の千姫事件での改易後に、
津和野藩に転封されています。
政矩は北政所と親しかったようで、
京都を訪れる度に圓徳院を訪れていた他、
北政所の従弟久林玄昌に援助して
高台寺の塔頭月真院を建立させました。
この月真院は亀井家菩提寺となっており、
幕末には御陵衛士の屯所になっています。
政矩は北政所に会う為に上洛する途中、
伏見で落馬してその怪我がもとで死去。
親しい北政所の傍に葬られました。
さらに登ると傘亭、時雨亭がありますが、
※千利休作の茶室という。
改修作業中の為写真は撮りませんでした。
「方丈」。
こちらは中に入る事ができます。
創建時は伏見城の建物が移築されましたが、
火災で焼失して大正元年に再建されました。
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