小塚原回向院境内は鉄道の敷設で分断され、
分断された回向院の南側境内は独立し、
現在は延命寺というお寺になっています。
そして回向院にあった首切り地蔵は、
この延命寺の方が引き取りました。
「延命寺」。
JR常磐線と東京メトロ日比谷線間、
2線の間の細長い敷地に建っています。
刑場はこの延命寺の南側のだったという。
刑死体は申し訳程度に土を被せるのみで、… 続きを読む
東京都荒川区 延命寺/首切り地蔵
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小塚原回向院境内は鉄道の敷設で分断され、
分断された回向院の南側境内は独立し、
現在は延命寺というお寺になっています。
そして回向院にあった首切り地蔵は、
この延命寺の方が引き取りました。
「延命寺」。
JR常磐線と東京メトロ日比谷線間、
2線の間の細長い敷地に建っています。
刑場はこの延命寺の南側のだったという。
刑死体は申し訳程度に土を被せるのみで、… 続きを読む
東京に出張。
突如スケジュールに余裕が出来たので、
南千住の小塚原回向院に行ってきました。
小塚原回向院は両国回向院の住職弟誉義観が、
刑死した罪人を供養する常行堂を創建し、
それが両国回向院の別院となったもの。
ここに吉田松陰、橋本左内など、… 続きを読む
日本も昔から法治国家なわけで、
法があるということは刑もある。
刑があるという事は刑場も必然的。
江戸時代の幕藩体制においては、
各藩の藩法に乗っ取り刑罰が行われ、
それぞれの藩ごとに刑場がありました。… 続きを読む
敵方の動向を探る一番有効な手段は、
間者(スパイ)を潜り込ませることでしょう。
幕府は各藩に隠密を潜り込ませましたし、
諸藩も京都や江戸等の各地に探索方など、
間諜を出していたらしい。
新撰組にも間者がいたようですし、
隊士も間者として粛清されています。
※これについての正否は不明。
壇ノ浦砲台と前田砲台… 続きを読む
仕事で萩に行きました。
同じ県内とはいえ下関と萩はかなり離れており、
宿泊する事になりました。
宿は知る人ぞ知る「旅館 芳和荘」。
一緒に萩に行く会社の同僚が、
ビジネスホテルが空いてなかったからと、
よくわからずに予約したようです。
この旅館は、築100年以上の元遊郭。
残念ながら幕末までは届きませんが、… 続きを読む