織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、
大軍を率いて中国地方へ侵攻。
播磨、但馬、因幡を平定した後、
備前、備中にも進出した為、
毛利家は境目七城を防衛線とし、
※… 続きを読む
山口県光市 清鏡寺/清水宗治供養塔
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織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、
大軍を率いて中国地方へ侵攻。
播磨、但馬、因幡を平定した後、
備前、備中にも進出した為、
毛利家は境目七城を防衛線とし、
※… 続きを読む
光市立野にある正義霊社は、
清水家2代当主清水景治が、
熊毛郡立野を所領に与えられた際、
父の清水宗治の墓所備中高松城より、
神霊を観請して祀った事が始まり。
後に12代清水親知が合祀され、
二神の祀られる神社となっています。
「正義霊社… 続きを読む
タイトルを益田景祥墓所としましたが、
墓所を見つける事が出来ませんでしたので、
タイトル詐欺のようになっています。
僅かなネットの情報によると、
下地図の青丸で囲んだ辺りのあるようです。
山口市仁保下郷周辺。
青丸辺りに景祥の墓があるという。
景祥は須佐益田家20代益田元祥の二男で、
はじめ筑後の豪族宗像氏… 続きを読む
俊龍寺の本堂裏にある柳澤家歴代墓所。
長州藩寄組柳澤家の初代当主柳沢元政は、
12代将軍足利義晴、13代足利義輝、
15代足利義昭に仕えた足利幕府の幕臣で、
義昭が織田信長に追放されると、
これに追従して… 続きを読む
俊龍寺は大内家家臣弘中氏の菩提寺で、
献珠院や延楽寺と呼ばれたようですが、
大内氏滅亡後に荒廃していたという。
その後に毛利家家臣柳澤元政が再興し、
毛利輝元の命で足利将軍らや、… 続きを読む
問田益田家は永代家老須佐益田家の分家で、
宗家20代益田元祥の次男益田景祥を祖とし、
周防国吉敷郡問田を本拠としました。
藩内では寄組に属していましたが、
4000石を越える所領を持つ家は、
問田益田家を含め5家のみとのこと。
※他は堅田家… 続きを読む
志道家は安芸毛利家の庶流で、
安芸国志道を領した為に志道姓を称し、
2代当主志道広良は毛利家執政として、
10代毛利興元から12代毛利元就まで、
家臣団の中心的人物として活躍。… 続きを読む