小倉藩」タグアーカイブ

福岡県北九州市 小倉城

僕の住んでる場所から一番近い城は小倉城です。
子供の頃から何度か行っており、
あまりにも身近でしたので、
わざわざ記事にすることもなかったのですが、
たまたま近くの商業施設に用があったので、
ちょっと寄ってみました。


小倉城天守」。
昭和34年に鉄筋コンクリートで、
模擬復興されたもの。
幕長戦争小倉口の戦い(小倉戦争)において、
小倉藩が自焼させたと思っていましたが、… 続きを読む

福岡県北九州市 福聚寺/島村志津摩墓所

藩主家菩提寺福聚寺の墓地に、
幕末の家老島村志津摩の墓があります。


小倉藩島村志津摩之墓」。
小倉藩家老島村志津摩貫倫の墓。
小倉戦争時の一番手備士大将で、
幕末時の家老職であった志津摩は、
殖産興業振興等の財政改革を行っており、
小倉戦争で最高責任者となっています。
小倉城の自焼後にはゲリラ戦を展開し、… 続きを読む

福岡県北九州市 福聚寺/小倉藩小笠原家墓所

福聚寺小倉藩初代小笠原忠真が創建し、
菩提寺として藩の保護を受けました。


第一関門」。
福聚寺の総門にあたる第一関門
本来の正規の入口なのですが、
門前は民家が立ち並んで結構狭い。
駐車場も裏門にありますので、… 続きを読む

宮本伊織の系譜

小倉藩の筆頭家老である宮本家が、
宮本武蔵の養子宮本伊織の系譜であるとは、
知られているようで知られていません。

藩主一門を飛び越えて筆頭家老になるとは、
武蔵の威光伊織の才能かわかりませんが、
代々筆頭家老として存続しています。
※一門衆は家老にならない藩もありますし、
 飛び越えてが適切かはわかりません。

幕末の宮本家がどのような活躍をしたのか?
調べても良い資料には巡り会いません。


「… 続きを読む

福岡県京都郡 小笠原神社/豊津陣屋跡

城を自焼し香春に移った小倉藩でしたが、
藩庁が御茶屋では色々と不便ということで、
明治2年12月に豊津に移ります。

9代小笠原忠幹は慶応元年9月に死去。
国内が不穏な状況であった為、
忠幹の死は秘匿され続けましたが、
小倉戦争終結後の慶応3年になり、
ようやく幕府続きを読む

福岡県京都郡 甲塚墓地/郡長正の墓

萱野権兵衛会津戦争の責任で自刃。
萱野自刃後に萱野家の家名は断絶し、
家族は祖先の使った姓を名乗ってます。
会津藩は斗南に転封となり斗南藩を立藩。
極寒の過酷な状況の中で藩を運営しました。
幕長戦争で長州藩と戦った小倉藩は、
小倉城を自焼することになり、
御茶屋を藩庁として香春藩続きを読む

福岡県田川郡 御茶屋香春藩庁跡

香春(かわら)。
なんと風流な名前でしょうか。
香春町は福岡県田川郡にある町です。

小倉戦争末期。
小倉城を自焼した小倉藩は香春に撤退。
香春は藩領田川郡の中心地だった場所で、
藩主の領内巡視に使われる御茶屋があり、
小倉藩はその御茶屋を仮藩庁としています。
香春は小倉城下に次いで繁栄しており、
ここを藩庁としたのも当然の事でした。


御茶屋香春藩庁跡」。
国道322号線続きを読む