井上聞多が総督を務めた鴻城隊は、
長寿寺から常栄寺に本陣を移したとされます。
ただ常栄寺は当時、現在の洞春寺の場所にあり、
藩庁を萩から山口に移転する文久3年に、
移転して現在地にあった妙寿寺と合併。… 続きを読む
山口県山口市 常栄寺
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井上聞多が総督を務めた鴻城隊は、
長寿寺から常栄寺に本陣を移したとされます。
ただ常栄寺は当時、現在の洞春寺の場所にあり、
藩庁を萩から山口に移転する文久3年に、
移転して現在地にあった妙寿寺と合併。… 続きを読む
藩主の領内巡視などに使用された御茶屋は、
各地の街道沿いや温泉地に置かれ、
他藩や幕府使節の迎賓にも使用されました。
山口にも当然御茶屋は置かれています。
山口市中川原町周辺(山口御茶屋跡の場所)
御茶屋は亀山の東麓にありました。
「… 続きを読む
東光寺の大雄宝殿裏側奥は毛利家墓所で、
その手前には四家老の墓所と、
元治甲子殉難烈士の墓所があります。
彼らは元治元年の第一次長州征伐の際に、
藩内で主導権を握った俗論党により、
切腹したり斬首された藩士達でした。
これらは杉孫七郎… 続きを読む
毛利元就の長男であった毛利隆元は、
弟の吉川元春、小早川隆景に支えられ、
父元就と共に覇権を進めますが、
謎の急死を遂げてしまいます。
隆元の長男毛利輝元は幼少ながら跡を継ぎ、
祖父元就の後見によって政務が進められ、
山陰山陽の覇者となっていきました。
織田信長による中国侵攻を迎え撃ち、
後に台頭した… 続きを読む
長州藩毛利家の墓所は領内に4ヶ所。
藩祖毛利輝元の墓所である天樹院跡、
13代毛利敬親及び、
14代毛利元徳の香山墓地、
3~11代の奇数代の墓所である東光寺、… 続きを読む
清末藩毛利家の菩提寺高林寺に再訪。
「山門」。
天和2年(1682)の創建当時のまま残る山門。
安政2年に火災が起こっており、
本堂など他の建造物は焼失しています。
5年前は娘と訪問しましたが、
今回は息子と2人でやってきました。
本堂左側より毛利家墓所へ。
「清末毛利家墓所」。… 続きを読む