第二次長州征伐」タグアーカイブ

下関市豊北町 肥中湊

肥中港特牛港の北側の湾にある港で、
小さな漁村といった雰囲気の港です。


豊北町大字神田肥中(肥中港の場所)

この小湊が歴史上重要な場所であった事は、
一般にはあまり知られていません。
大内氏時代より朝鮮貿易の為に整備され、
鎖国後も密貿易の拠点であったとされます。
北浦の隠れた場所でありながら、
肥中街道により山口にも結ばれており、
輸送にも大変優れた場所でもありました。… 続きを読む

福岡県豊前市 千束陣屋跡

小倉新田藩小倉藩2代藩主小笠原忠雄が、
小笠原真方1万石が分与し立藩。
他の新田藩が江戸定府大名であるのと同じく、
参勤交代を行わない定府大名でした。

はじめは小倉城下の屋敷に藩庁が置かれ、
幕末期は宗家と行動を共にしていますが、
小倉城落城と共に藩庁を失います。
藩主の… 続きを読む

福岡県北九州市 小倉城

僕の住んでる場所から一番近い城は小倉城です。
子供の頃から何度か行っており、
あまりにも身近でしたので、
わざわざ記事にすることもなかったのですが、
たまたま近くの商業施設に用があったので、
ちょっと寄ってみました。


小倉城天守」。
昭和34年に鉄筋コンクリートで、
模擬復興されたもの。
幕長戦争小倉口の戦い(小倉戦争)において、
小倉藩が自焼させたと思っていましたが、… 続きを読む

浜田城自焼後の浜田藩②

つづき。
/②//

7月19日。
長州藩軍が総軍浜田城下に入る。
浜田藩退去に伴い貧困層の略奪が発生し、
城下は混乱を極めます。

7月20日。
隣接する大森銀山(石見銀山)では、
代官鍋田三郎衛門が… 続きを読む

石州戦争での軍夫の逃亡

幕長戦争石州口の戦い(石州戦争)は、
大村益次郎が直接指揮を執り、
長州軍を勝利に導いたとされています。

その通りではあるのですが、
それだけが勝利の要因ではなく、
兵装の違い士気の違い戦術の違い等、
色々な要素が重なった結果の勝利でした。
その勝利の要因のひとつとして、
石見の民衆の動向が挙げられており、… 続きを読む