肥中港は特牛港の北側の湾にある港で、
小さな漁村といった雰囲気の港です。
豊北町大字神田肥中(肥中港の場所)
この小湊が歴史上重要な場所であった事は、
一般にはあまり知られていません。
大内氏時代より朝鮮貿易の為に整備され、
鎖国後も密貿易の拠点であったとされます。
北浦の隠れた場所でありながら、
肥中街道により山口にも結ばれており、
輸送にも大変優れた場所でもありました。… 続きを読む
「第二次長州征伐」タグアーカイブ
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福岡県豊前市 千束陣屋跡
小倉新田藩は小倉藩2代藩主小笠原忠雄が、
弟小笠原真方に1万石が分与し立藩。
他の新田藩が江戸定府大名であるのと同じく、
参勤交代を行わない定府大名でした。
はじめは小倉城下の屋敷に藩庁が置かれ、
幕末期は宗家と行動を共にしていますが、
小倉城落城と共に藩庁を失います。
藩主の… 続きを読む
福岡県北九州市 小倉城
僕の住んでる場所から一番近い城は小倉城です。
子供の頃から何度か行っており、
あまりにも身近でしたので、
わざわざ記事にすることもなかったのですが、
たまたま近くの商業施設に用があったので、
ちょっと寄ってみました。
「小倉城天守」。
昭和34年に鉄筋コンクリートで、
模擬復興されたもの。
幕長戦争の小倉口の戦い(小倉戦争)において、
小倉藩が自焼させたと思っていましたが、… 続きを読む
浜田城自焼後の浜田藩④
浜田城自焼後の浜田藩③
浜田城自焼後の浜田藩②
石州戦争での軍夫の逃亡
幕長戦争の石州口の戦い(石州戦争)は、
大村益次郎が直接指揮を執り、
長州軍を勝利に導いたとされています。
その通りではあるのですが、
それだけが勝利の要因ではなく、
兵装の違い、士気の違い、戦術の違い等、
色々な要素が重なった結果の勝利でした。
その勝利の要因のひとつとして、
石見の民衆の動向が挙げられており、… 続きを読む