大溝藩分部家は元々伊勢の国人で、
北伊勢に勢力を伸ばす長野家の一族でした。
分部光嘉は織田信長の伊勢侵攻に際し、
内通して長野家の家督を織田信包に継がせ、
※信包は信長の弟。
信包配下として伊勢上野城を与えられます。… 続きを読む
滋賀県高島市 圓光寺/大溝藩分部家墓所
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大溝藩分部家は元々伊勢の国人で、
北伊勢に勢力を伸ばす長野家の一族でした。
分部光嘉は織田信長の伊勢侵攻に際し、
内通して長野家の家督を織田信包に継がせ、
※信包は信長の弟。
信包配下として伊勢上野城を与えられます。… 続きを読む
東福寺は臨済宗東福寺派の大本山で、
鎌倉時代の摂政九条道家により建立され、
宗より帰国した円爾が開山した大寺院。
火災や兵火で幾度も伽羅を焼失しますが、
その度に復興されており、
今もなお25の塔頭を持つ大寺院で、
国宝を含む多くの文化財を有しています。
鳥羽伏見の戦いでは… 続きを読む
井伊家は井伊谷の龍潭寺を菩提寺としていましたが、
関ヶ原の戦いの後に井伊直政が佐和山に転封された為、
龍潭寺の五世昊天宗建禅師を招いて分寺し、
佐和山山麓に同名の龍潭寺を創建しています。
「龍潭寺」。
龍潭寺は… 続きを読む
九州一の剣豪と称された松崎波四郎の墓が、
梅林寺の向かいにある法泉寺にあります。
「法泉寺」。
寺の由緒はよくわかりませんが、
境内の宝篋印塔は天台宗の僧豪潮律師が、
全国に2000余基造ったうちの一つという。… 続きを読む
梅林寺は修行道場として知られる古刹で、
久留米藩有馬家の菩提寺でもある寺。
初代藩主有馬豊氏が久留米に移封された際、
福知山にあった瑞巌寺を移転させたもので、
父有馬則頼の分霊を移して祀り、
その法号梅林院… 続きを読む
國清寺は池田宗家2代池田利隆が建立し、
3代池田光政が祖父池田輝政および、
父池田利隆の菩提寺に定めた寺院。
※輝政の法号は国清院殿泰叟玄高大居士。
創建当初は法源寺と称していました。
「山門… 続きを読む
開善寺に小笠原貞宗が信濃に中興した寺で、
鎌倉時代後期に四条頼基が創建したもの。
後に府中小笠原宗家が小倉藩に入封すると、
信濃の開善寺と同名の寺を創建。
以後は重臣達の菩提寺として城下で栄え、
小倉戦争では小笠原長行… 続きを読む