三原屋で殺されたのは小目付鈴木八五郎、
中根の従者長谷川勇助、須原栄の三名。
三名の事は長く忘れられていましたが、
昭和3年に墓が栄山の麓に建てられました。
小郡郵便局横の道を西に入り少し進むと、
栄山自然観察の森案内図の看板があります。
案内図を見ると三原屋殉難士墓… 続きを読む
「諸隊」タグアーカイブ
山口県山口市 三原屋事件史跡①/三原屋本陣跡
福岡県北九州市 延命寺/奇兵隊戦死墓
延命寺は小倉城の東北鬼門の守りとして、
小倉藩の保護を受けでいました。
また足立山にあった東照大権現宮も移され、
住僧は代々東照宮の別当を兼務しています。
国道3号線沿いにあるこの寺は、
派手さから場所は知っていましたが、
なかなか立ち寄ることが出来ずにいました。
「延命寺」。
小倉戦争で焼失していたのですが、
長州の僧田中芝玉… 続きを読む
福岡県北九州市 長州奇兵隊の墓
小倉北区赤坂に奇兵隊士の墓があります。
赤坂4丁目付近周辺。
手向山の西側。赤坂2丁目の小高い山。
地図ではなんてことはないのですが、
急な坂と細い道が多い場所でした。
その割には周辺の家は豪邸が多い。
急な坂をどんどん車で登って、
行き止まりまで行くと、
車を止められるスペースがあります。
そこからすぐの所にありました。
「長州奇兵隊戦死墓」他。
右から、… 続きを読む
山口県山口市 洞春寺/井上馨墓所
維新を生き抜いた志士達は政府に出仕し、
殆どが東京に在住していた為、
その墓所は東京という例が多い。
長州藩出身者は地元に墓が無い場合が多く、
木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、山田顕義、
野村靖、品川弥二郎、桂太郎、山尾庸三、… 続きを読む
「長州藩部落民伝説」西田秀秋
穢多という身分は本当はどうだったのか?
僕は実際によくわかっていません。
穢多は職業的にいえば、
牛馬の皮を剥いでなめす職で、
牛馬の皮は武具や馬具の主材料でした。
①穢多が毛嫌いされたのは、
死骸という[穢れ]ものを扱うから。
自然現象は神仏が起こすと考えた昔の人は、
そういう[穢れ]が神仏を怒らせると忌み嫌う。
②しかしながら牛馬の皮は武具となり、
権力者にとっては必要不可欠なモノ。
穢多が居なくなっては困るので、… 続きを読む
山口県防府市 桑山招魂場
佐波川の河口の開けた平地からなる防府市。
その中心部にぽつんとある独立丘陵が桑山。
別名を[三つ山][桑ノ山]、
雅名を[九華山]といいます。
元治元年8月、太田市之進、山田顕義、
品川弥二郎らが… 続きを読む