精兵隊発起人のひとり有川恒槌の墓が、
長府の功山寺にあります。
「有川紀綱神霊塚」。
有川家墓所の隅の古い墓石と共に、
並べられていました。
有川恒槌は別名有川紀綱ともいい、
長府藩士有川乃右衛門の長男として生まれ、
一を聞けば二を知ると噂されており、
幼い頃より秀才として周囲に知られ、… 続きを読む
精兵隊発起人のひとり有川恒槌の墓が、
長府の功山寺にあります。
「有川紀綱神霊塚」。
有川家墓所の隅の古い墓石と共に、
並べられていました。
有川恒槌は別名有川紀綱ともいい、
長府藩士有川乃右衛門の長男として生まれ、
一を聞けば二を知ると噂されており、
幼い頃より秀才として周囲に知られ、… 続きを読む
功山寺の墓地には三吉慎蔵や、
泉十郎、豊永長吉(印藤聿)、
三吉周亮等の墓があることが知られますが、
まだ多くの人物の墓があったりします。
有名どころ以外は説明板も無く、
無縁となったりしてるものは、
整備されずに草に覆われていたりします。
墓地内を歩き突状方柱型の墓石を見つけ、
没年が慶応や明治初期だったりしたら、
調べてみると意外な人物だった。
そんな感じで、… 続きを読む
長府の商店街沿いにある正円寺は、
樹齢千年の銀杏樹が本堂前にそびえるお寺。
ここに洋式砲術家河崎董の墓所があります。
「正円寺正門」。
正円寺はもともと現在の位置ではなく、
北に1km行った山中にありましたが、
長府藩の政策で山陽道沿いに移されました。
本堂は明和3年(1766)に建立されたもの。… 続きを読む
小郡から椹野川対岸の元橋という場所に、
東津墓苑という墓地があります。
山の斜面に墓石が並ぶ墓地なのですが、
そこに鋭武隊士の墓がありました。
その墓の主は今井六郎といい、
元々は東津(椹野川の東側)の農民。
諸隊のひとつ鋭武隊に所属して、
戊辰戦争に従軍しています。
明治2年に諸隊が解散・再編されると、
職を失った諸隊士が反乱を起こし、
山口藩議事館… 続きを読む
玉木彦助は玉木文之進の嗣子で、
吉田松陰の従弟にあたります。
従兄の松陰とは仲が良かったらしく、
元服時に士規七則を松陰に贈られました。
世子毛利元徳の近従を務めるなど、
父や従兄に似て優秀であったようで、
松陰もその将来を期待していたらしい。
元治元年、太田市之進らの御楯隊に入隊。… 続きを読む
三原屋事件で殺された鈴木八五郎、
長谷川勇助、須原栄の三名の墓が、
栄山の麓にあるらしいので訪問しましたが、
その近くに山手招魂場の跡がありました。
「栄山自然観察の森案内図」。
お目当ての三原屋殉難士墓はすぐそこ。
近くに[禁門の変の墓]と描かれており、
なんだろうと行ってみた次第。… 続きを読む