高杉晋作」タグアーカイブ

愛媛県松山市 道後温泉

伊予松山城より1.5km西にある道後温泉
日本三大古湯のひとつとされ、
万葉集にもその記載が見られます。
聖徳太子も道後温泉に浸かったとされ、
天智天皇天武天皇など歴代天皇も行幸。
中世には河野通盛湯築城を築城し、… 続きを読む

久しぶりに東行庵へ行ってみた

非常事態宣言も解除されて天気も良いので、
久しぶりに東行庵に行ってみました。


参道バリアフリー化していました!
これは嬉しい!


みよちゃんゆきちゃんも歩いて登ります。
今までは抱っこして登ってました。
地元の企業が自社の創業70周年と、
晋作生誕180年続きを読む

高杉晋作の東帆禄④

///④
つづき。

万延元年5月4日。
朝早く出航。
多度津港を去り一里行って潮を待つ。
潮が来たので碇を挙げたが風は無い。
ようやく讃州の②大槌島に到着し碇泊する。
この日は曇天で小雨。

万延元年5月5日~7日。
③播州小豆島沖で漂泊。
3日間風は無く船は潮流に従う。… 続きを読む

高杉晋作の東帆禄②

/②//

つづき。

万延元年4月16日から19日。
故有って船は停泊。
上陸して伊藤静斎を訪ねる。
伊藤静斎は元長州藩出身で、
南部の賊民蜂起の際、
18歳の静斎は県令某の為に、
賊民数十人を斬り、
その後に伊藤家の養子となった人物。
伊藤家は馬関の有力者であり役人でもある。… 続きを読む

高杉晋作の主治医石田静逸

慶応3年4月14日。
高杉晋作は療養空しく短い生涯を閉じました。
長州藩はこの若き英雄をなんとか治そうと、
名医で聞こえた李家文厚竹田祐伯を送り、
寄組国司家も抱医の熊野祥甫を派遣。
特に竹田祐伯は三条実美附の医師でしたが、
木戸準一郎(孝允)がわざわざ… 続きを読む