慶長9年(1604)に隠居した島津義久は、
祈願所として龍護院金剛寺を建立。
寺名は義久の号である龍伯に因み、
大乗院の末寺に属していたという。
「龍護院金剛寺跡」。
廃仏毀釈によって廃寺となっていますが、
跡地には島津義久の三重石塔の他に、
多くの… 続きを読む
鹿児島県霧島市 島津義久墓所
島津宗家16代当主島津義久は隠居後、
国分に舞鶴城を築いて移り住み、
7年後の慶長11年(1611)に死去しました。
その遺骨は宗家菩提寺である福昌寺の他に、
国分の龍護院金剛寺と徳持庵に分骨。
福昌寺と金剛寺では墓が建てられましたが、… 続きを読む
鹿児島県霧島市 敷根宿跡
敷根麓には薩摩街道高岡筋の宿場が置かれ、
現在の国道220号線が街道筋だったようで、
その北側に馬場があったようです。
国分敷根周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが敷根宿跡。
「敷根宿跡」。
石柱門や石塀が少し残っていますが、
幹線道路の為に遺構はあまり無し。… 続きを読む
鹿児島県霧島市 福山地頭仮屋跡
福山は日向や大隅と鹿児島城下の中継地で、
流通の要所として栄えた場所。
平地の下場と台地の上場に地形が分かれ、
下場は米の集積地として蔵が立並び、
上場は… 続きを読む
鹿児島県霧島市 島津忠将供養塔
島津忠将は相州島津家4代当主で、
垂水島津家の初代当主でもあります。
武勇に優れた人物だったようで、
兄で宗家15代当主島津貴久を補佐。
多くの戦いで武功を挙げており、
大隅肝付家や日向伊東家の抑えとして、
要衝であった清水城の城主に就任し、
両家の動向に睨みを効かせていました。
永禄4年(1561)に肝付家が… 続きを読む
鹿児島県鹿屋市 市成御仮屋跡
市成は曽於郡南東部に位置する地で、
市成島津家1000石の私領。
その居館として御仮屋が建てられ、
支配地の行政を担っていました。
「市成御仮屋跡(正覚寺)」。
市成御仮屋跡は正覚寺の境内。
国道504号線沿いに石垣が残りますが、
訪問時は時間が悪かったのか、
何故か交通量が多くて写真が撮れず。
上の写真は脇にある保育園の入口です。… 続きを読む
鹿児島県鹿屋市 市成島津家墓所
瑞慶庵は輝北町市成にあった寺院で、
市成島津家の菩提寺であったという。
最初はは両足寺と称していたようで、
後に瑞慶庵と改称したようです。
源姓土岐氏末裔が大隅国敷根村に移住し、
敷根姓を称して豪族となり、
後に島津家の家臣となっていましたが、
15代当主敷根頼元は男子なく戦死。… 続きを読む