油谷湾を囲むように伸びる向津具半島の先端の油谷島に、
異国船打払の為に築いた台場跡が残されています。
向津具半島周辺(泊台場跡の場所)
向津具は「むかつく」と読みます。
もちろん別にムカついているわけではなく、
昔は「向津国(むかつくに)」と呼ばれていたのが、
年月が経つうちに変化したもので、
油谷湾の南側から見て「向こうの津にある国」だったから。… 続きを読む
山口県長門市 泊台場跡
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油谷湾を囲むように伸びる向津具半島の先端の油谷島に、
異国船打払の為に築いた台場跡が残されています。
向津具半島周辺(泊台場跡の場所)
向津具は「むかつく」と読みます。
もちろん別にムカついているわけではなく、
昔は「向津国(むかつくに)」と呼ばれていたのが、
年月が経つうちに変化したもので、
油谷湾の南側から見て「向こうの津にある国」だったから。… 続きを読む
青海島東部にある通浦は、古式捕鯨で栄えた町。
中世より行われていた通浦の捕鯨は、
長州藩の保護と奨励によって盛んに行われ、
四大古式捕鯨基地に数えられています。
長門市青海島周辺(通浦の場所)
幕末期には、外国船来襲に備えた台場が造られ、
北浦巡視を行った吉田松陰もこの地を訪れました。
(記事は… 続きを読む
赤間関街道は、長州藩本拠地である萩と、
経済的・政治的重要拠点である赤間関を結ぶ街道で、
幾多の長州藩士や他藩の志士達が通った道でした。
街道は北道筋と中道筋の2つのルートで萩-赤間関を結び、
三隅、湯本、俵山、田部を通るルートが「北道筋」、
絵堂、秋吉、美祢を通るルートが「中道筋」となっています。
※もうひとつ北浦道筋という海岸線を通る道もありますが、
遠回りなコースですので、途中に用が無い場合は、
北道筋か中道筋を通るのが普通です。… 続きを読む
唐の9代皇帝玄宗は、開元の治と呼ばれる善政で、
輝かしい繁栄の時代を作り出しましたが、
息子の妃を見初めてこれを奪って寵愛したことから、
国を傾けることになってしまいます。
その妃というのが楊貴妃で、
中国四大美人や世界三大美人に数えられる女性。
玄宗は楊貴妃を寵愛しすぎて政治をおろそかにし、… 続きを読む
長州藩では直轄地を宰判という行政区分に分け、
それぞれに代官を置いて地方行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税の徴収、土木工事や治安維持、裁判などが行われています。
「長門市立菱海中学校」。
先大津宰判勘場があった場所は、
現在は長門市立菱海中学校になっています。
「… 続きを読む