金子文輔の馬関攘夷従軍筆記⑫

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5月14日 晴。隊員栗林瀧次郎と共に、
 中野村陣営を発し前田村陣営に至り、
 総督及び軍監等に面会し、
 来営の要領を談じ隊食堂で晩餐を喫し、
 初更の頃辞し去り。
 更に亀山社伊勢屋小四郎方に投宿す。
5月15日 晴。朝新地奉行所に至り、
 従兄永富眞平を訪ねる。午飯後に帰宿。
 叉奇兵隊の陣営に至り、
 書記湯浅祥之助に面会し、
 狼烟砲二門を借り受け、
 該砲弾丸製造の方法を聞き、
 夜半の頃に帰宿す。
5月16日 晴。馬関に滞在す。
5月17日 晴。馬関を発し薄暮の頃、
 中野村蓮行寺の陣営に帰る。
5月25日 晴。
 鶏鳴に陣営を発しに帰省す。
 総督赤川氏と帰省を約束したが、
 赤川は帰省が決まらず余だけ発す。
 発するに及んで今様一首を柱に題す。
 「誰か聞らん寝覚して妻崎邉り
    夜深くも帰去不如トなく 
      時鳥今一聱を聞かるほし

 今夜二更の頃に家に帰る。
 本日未明に竹下の外祖父持病で逝くと。
 直ぐに竹下を訪問する。
6月24日
6月    膺懲隊に馬関転陣の通知あり。
7月18日 萩を発し馬関に至らんとす。
 今夜舟木に一泊す。
7月19日 晴。舟木を発し、
 馬関阿弥陀寺屯陣の膺懲隊に投ず。
 この日隊員が夜半に襲われ奇声を発する。
 中間の柱を枕に眠れば必ず襲われると。
 交番にて柱を枕して睡眠する事となり、
 抽選にて昼寝のときの戯となった。・
 又裏座敷で人なく眠れば必ず襲われると。
 余一日昼寝のときにこの襲撃に遭う。
 其様は大人が首を締め付けるが如し。
 他の襲われし者に聞けば皆同じという。
 ※なんだこれは?心霊現象?平家の怨念?
7月25日 京師の敗軍を伝聞す。
 ※禁門の変は7月19日
8月1日 晴。本日より三日迄三日間、
 当地で五穀祭が執行される。
 当地はことに市中各町で装飾すと云う。
 阿弥陀寺町より新地までは二里程度。
 家屋が立ち並び左右の屋上よりは、
 交互竹或は丸太木を渡し、
 その上に御座又は葭簀を張り、
 その上を秱油紙で覆い降雨といえども、
 歩行には苦労しないという。
 ※今でいうアーケードですね。
 白紙や金銀色の紙で製造する折鶴或いは、
 紅白牡丹叉は菊花及び櫻花作花等を挟み、
 夜は燈火を灯し左右の店前に幕を張り、
 各家屋内には金装の屏風を廻し机を置き、
 生花を瓶に挿し毛氈を敷き酒肴を設け、
 知と不知とに論なく通行人を招き饗応す。
 また老幼男女が綺羅を競い、
 三絃胡弓や大小鞁等にて音を為すものは、
 銅盥等を携えて打ち飛び跳ねる。
 真に狂ずるか如し。女にして男装
 男にして女装、少女にして老婆を装い、
 老婆にして少女を装い千態萬状、
 東西如織太奇観なり。
 ※こんな祭りが下関であったのか!
8月2日 翳。
 夕景より市中はまた騒然たり。
8月3日 翳。市中昨日の如し。
 昼前赤川と阿弥陀寺町綱甚に下宿する。
 山縣奇兵隊軍監を訪問。
 裏二階は馬関海峡に面し、
 豊前の諸山一望にあり。
 頼山陽の揮毫雨気霽好樓の扁額あり。
 長押には櫻花の作花を四方に挿ばさみ、
 また巻紙を五尺程広げて長押に粘付ける。
 和歌あり歌に曰く、
 「心合ぬ人の間來て長居すハ
  一人居るより詑しかりけり

 しばらく話して去る。
 この歌はどういう意味かと赤川に問う。
 曰く老松のことなるべしと。
 ※山縣初登場。
  和歌の意味の老松の事とは?
  何か深い意味がありそう。

8月4日 晴。午前隊員諸士と、
 阿弥陀寺町埠頭沖にて浮泳を試む。
 遊泳中に号砲を聞き直ちに営所に帰り、
 軍装し壇ノ浦に至るが敵船は見えず。
 昼八つ時頃遥かに一艘の蒸気船を認む。
 続いて一艘が七ッ時に至り、
 数えれば大小の艦隊遂に二十三艘なり。
 最も巨大なものは白色で砲門二段のもの。
 ※英艦ユーライアラス号か?
 三四艘は皆黒色なり。
 小倉領田ノ浦より部崎沖に停船し、
 各船より浮船を下して交互往来し、
 また田ノ浦辺りに上陸するものを認む。
 本年三四月の頃より、
 外国軍艦多数来襲の風説あり。
 英佛米蘭四国の軍艦なりと。
 距離遠く砲丸の届かない位置なれば、
 双方発砲せず。
 夜中に敵艦は無数燈を灯し、
 時々奏楽するを聞く。
 (戦艦は十八艘他は器械又は兵糧船という)
 今夜半山口より参政前田孫右衛門及び、
 井上聞多伊藤俊介が我砲台関門に来る。
 ※井上伊藤コンビ登場。
 皆営所に入り直ぐに辞し去る。
 (井上伊藤は前年山尾庸三井上彌吉等と、
  英国に留学していたが、
  外国船が我が馬関に襲来すると知り、
  急いで帰朝したと云う)
 続いて奇兵隊総督赤根武人らが、
 前田陳営より来営す。
 山縣及び福田侠平等と談話す。
 談話中に時山直八が来た。
 軍監山縣狂介に面会したいという。
 山縣曰く時山直八は先に京師にあり、
 何の面目で予に面接せんとするか。
 余は再び彼と会う気は無いと。
 山縣は赤根や片野十郎と、
 参政前田の旅寓に赴く。
 後に福田侠平が時山を迎えて座を設け、
 京師の戦状を聞く。
 時山は始終涕泣して京師の戦況を説明。
 久坂寺島鷹司邸内にあり、
 敵兵と肉薄し互いに刃を接へて死し、
 入江氏は鷹司邸門外にて、
 彦根藩士に槍殺せられ云々。
 皆は粛然。
 鶏鳴に赤根、山縣、赤川、交野等が帰営。
 赤根は時山を拉して前田陣営に帰る。
 山縣は時山と一言を交えず。
 ※時山が可哀想。山縣の器が知れます。
8月5日 晴。黎明に敵艦一列となり、
 一艦は姫島方向に去り、
 舟木宰判本山の手前に至り、
 この艦より狼烟を発すると、
 一列の敵艦も狼烟を発してこれに応ず。
 各艦もまた然り。
 この時我前田砲台よりも発砲す。
 敵艦もまたこれに応じ前田台場や、
 角石杉谷の諸砲台より次々発砲す。
 敵艦は大軍艦を中央に置き十数艘を
 左より右に円を描くように巡廻し、
 砲台に発砲。
 前田、杉谷、櫻場砲台に、
 全力を尽くすが如し。
 朝四ッ時頃より我壇ノ浦砲台にも砲撃し、
 九ッ時頃より最も激烈。山鳴り谷震え。
 百雷を一瞬に発するが如し。
 第八番架砲奇兵隊福田直右衛門が、
 弾丸に触れて即死。
 身体は粉々となり首は右手に接し、
 左手は親指より裂け、両足は膝だけ残り、
 残りは皆粉砕し所在わからず。
 第九番架砲近くの敵艦砲撃が激しくなり、
 七時頃また玄武隊某も弾丸に触れて即死。
 薄暮に敵艦は田ノ浦に退く。
 夜また敵艦が奉楽するを聞く。
 この日軍監山縣、
 福田等は十字槍を携え指揮。
 今夜は砲台上に在りて酒飯し、
 また敵艦の奏楽を聞いて三四発を発射す。
 巨艦遠く弾丸は敵艦に届かず。
 前田其他の砲台より報知に曰く、
 前田砲台は最も多数の弾丸を被り、
 弾丸また尽きんとすと。
 櫻場砲台は再び利用できない程という。
 ※またしてもボロ負け。
  1隻で勝てないのに17隻は無理です。


つづく。
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