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8月6日 晴。
伍長飯田行蔵に代わり当直する。
この日長府候より酒肴を賜る。
但し粟屋主税他五人入隊の御賴みなり。
※長府藩からの出向で入隊。
宜しくお願いねという意味で、
酒肴が振舞われました。
8月9日 夕景に幕府使節中根市之丞等、
長府候御座船にて小郡に航海す。
また朝暘丸士官等は上陸して民家に起居。
朝陽丸には下士一二名及び水火夫のみ。
8月11日 前田台場の見張りとして出張。
8月13日 晴。世子君御来関。
総督及び参謀等旅館に謁す。
御旅館は竹崎町白石正市郎宅なり。
8月16日 半晴。本日世子君壇ノ浦及び、
前田、杉谷等の各砲台を御巡覧なれば、
奇兵隊一同は行軍して前田砲台に出張す。
朝四ッ時頃に世子君が御臨場。
まず前田上下の台場が海岸砲を五発放ち、
次に剣槍術仕合、西洋銃陣中隊操練、
龍虎射的弓隊的前、狙撃隊操練及び射的。
荻埜隊の練操及び射的、
次に剣槍試術合併大仕合、
続いて長府、清末両藩の西洋銃陣及び、
仕合等。
まだ数番の仕合等あったが、
日暮れの為終了。
※途中で終わったのが悲劇の始まりです。
薄暮頃に前田を御発馬、前軍奇兵隊半隊、
中軍に荻野隊、殿軍に奇兵隊半隊。
奇兵隊は阿弥陀寺門前にて拝別す。
今夜酒肴を賜う。薄暮より微雨。
更頃奇兵隊は教法寺屯集の先鋒隊を襲撃。
先鋒隊は応せずして逃る。
※教法寺事件発生。
世子君は先鋒隊と奇兵隊の守衛台場と、
隊兵の演習を観覧予定で、
まず奇兵隊の守衛の前田砲台を御巡覧し、
夜に入った為に先鋒隊御巡覧は、
御順延となる。
先鋒隊の多くの者がこれを恨み、
これは御使番宮城彦輔の仕業として、
宮城が襲撃されると先鋒隊の一人が、
密かに宮城に忠告した。
※宮城は大組士で先鋒隊に所属のところ、
奇兵隊に入隊していた為、
先鋒隊士から良く思われてなかった。
また宮城は世子君の御旅館よりの帰途、
教法寺門外の下宿前で先鋒隊に遭うと、
「今夜先鋒隊は貴寓を襲う」と脅される。
宮城一戦を試して死あるのみとし、
高杉総督に訣別して善後を託そうと、
高杉総督の旅寓(酢奈良屋)を訪ねた。
※奈良屋入江和作は支援者のひとり。
総督は赤根武人と囲碁をしていたが、
誤解を解く為に教法寺へ向かい、
赤根武人はすぐに奇兵隊陣営に帰り、
隊員達は寝衣のままで刀を携え、
宮城の下宿前に二三十人集まった。
(宮城の下宿は教法寺の門前)
この時高杉総督も林半七及び宮城と共に、
教法寺の門前にあり。
教法寺営中は具足櫃の開閉音が聞こえ、
雑踏なる音が響き門外に聞えた。
我隊員が様子を見て曰く、
「先鋒隊各物具の用意あり侮るべからず」
我輩は寝衣のまま袖を腰部に纏う。
既に総督は宮城と共に教法寺小門に入り、
本堂階段前に至り姓名を告げ来意を通す。
先鋒隊の諸士は異口同音大声を上げて、
「斬れ斬れ」と連呼し小銃を発射す。
総督は隊員に指示を出し「来たれ」と。
隊員は大門を押し開き声を上げて進み、
本堂になだれ込んで戦を挑むが、
先鋒隊は燈火を消して静寂であった。
最も先駆けした隊員は、
先鋒隊の最も後れた者の足音を追った。
先鋒隊の桂某は重傷を負ったといい、
桂某は病床で最も後れて逃走したという。
※病床で殺されたのは蔵田幾之進。
金子の勘違い?
奇兵隊は再三戦を挑むも応ずるものなし。
武具を破壊して教法寺を去る。
総督と宮城を護衛し波多埜金吾の宿へ。
高杉総督は宮城と同じく座に上がり、
事情を参政に報告して少時にして帰営。
余は波多埜旅宿で時山豊次郎に偶然会う。
豊次郎は専念寺屯集の銃隊員なり。
帰営後は隊員の過半数が甲冑で武装。
分営の極楽寺の隊員も本営に集まる。
入江杉蔵は総督の命を伝えて曰く、
「先鋒隊果して来襲すべし。
然るときは快戦一死あるのみ。
諸君これを期せよ」と。
また約束の暗号を伝えて曰く「山、川」。
※意外と煽る晋作。
阿弥陀寺の精舎は紅石山を背にしており、
その半腹にありて東南に面す。
西南は小倉、門司、田ノ浦、部崎を一望。
また安徳天皇陵に接し左側に八幡社あり。
社前は広く奇兵隊の分営極楽寺に接続す。
阿弥陀寺の本門は赤間町に臨み、
門は官道より十一二間で民家に挟まれ、
石段十数段の上にあり。
門前西南に通じる一間道があって、
八幡社広場則ち安徳天皇陵御門右に通す。
精舎の前庭は四尺計の練塀の粉壁なり。
八幡社の前広場には燎火数所を設け、
座上には蝋燭の中央に竹の串を貫き、
襖あるいは壁に挿す。
本門前の石段脇には野戦砲二台を設置し、
小銃の弾丸数百発を埋装す。
弾丸は時々砲口より漏れるので、
(高所より低所に発射するので)
砲口塞ぐのに雑巾を使う。
先鋒隊が来襲すれば搬軌一撃で滅せる。
搬軌手は村上琢磨、神田恒之允が担当す。
搬軌一撃すれば両人は砲身と共に破碎。
両人は覚悟するところなり。
※搬軌一撃はよくわかりませんが、
自爆するもののようです。
裏門八幡社の前にも野戦砲二門備え、
装薬は葛西孫太郎、藤山吾作が担当。
これまた死を決して自ら請うところなり。
座上及び庭上は槍や刀を携え、
燎火に見つめ書を読むなどしており、
一人も私語するものなく最も粛寂なり。
夜半の頃に先鋒隊の使節として、
御使番井上東市介が営門石階の下に来た。
馬上より叫んで曰く、
「前刻は来営を辱す。
先鋒隊只今当営に推参し、
一戦雌雄を決すべし。諸君肯や否や」と、
まずは来営を報し併せて決答を乞うと、
赤根武人が門外に出て答えて曰く、
「敢て諸君の来営を拒まず。
迅速に来れて戦うべし」
井上は承諾すると馬首を回して去る。
「すぐにまた来る。只今推参すべし」と。
再三やり取りがあったが来襲せず。
四更頃に上使奥番頭大和國之助来営。
※大和國之助は大和弥八郎の事で、
甲子殉難十一烈士の一人。
総督を始め玄関で出迎え上座に招く。
上使は世子君の親書目録持参するを告げ、
総督進みて拝受し退きて拝読して泣く。
上使もまた泣く。営中はさらに静寂。
(この時、井上東市介来る)
すぐに上使の大和國之助は去り、
入江杉蔵が代わりに世子君の旨を伝える。
「今夜のことは容易なことではない。
山口からの命を待ち、
先鋒隊が来襲しない限り軽挙は慎むよう」
云々。
目録は酒二樽と肴(鰹節鰑)
既に東の空は白くなっていた。
※なんともドラマティックな展開。
こういう感じは長州藩らしいですね。
つづく。
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金子文輔の馬関攘夷従軍筆記⑦
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