金子文輔の馬関攘夷従軍筆記⑩

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10月10日 晴。小瘡は全く癒え、
 市街を往来することが出来るようになったので、
 清光寺に設立された奇兵隊に往来す。
 山口政府より御直書付が到来した。
※以下御直書ですが面倒で訳していません。
 ( )内は変体仮名で間違ってたらご愛敬。
 我日の本(わ)
 天津日嗣の知食
大御國(に)して其中に生る(そ)の皆其御民なり
其民に自然上下の分(あ)りて君臣の別(あ)(り)
我辱くも二州を預り領し汝等は君臣の義なりと
いへとも其本は均しく天子の御民なり
汝等能く吾(に)事るは叉天朝(に)事る
所以(に)して能く事へさるは亦よく
天朝(に)事へ奉さるなり吾若能く
天朝(に)事へ奉さる時は汝等吾を輔導匡正しく能く
天朝へ事へ(ゑ)むるは臣子の食なり
幕府もまた同様にて
天朝の為(に)天下の諸侯を牽ひ
天朝に藩屏し外夷(を)して覬覦せしめさるを
征夷府の職掌とす若其職缺る時は盡力周旋し
天朝へ事(ゑ)むるは是吾等諸侯の職掌(に)て
臣子たる(そ)の亦各其主の為(に)力(を)盡す處なり
過る癸丑甲寅のころ外夷初て來り幕府質性
理をみる明(か)なら(す)天朝に背き外夷を近け
逐(に)戊午の變となり天下の人心揺動し上巳上
元の擧を構成する(に)至る爾來其弊愈甚しく
吾等深く痛心す依て熟攷する(に)我家は
尋常諸侯に異なり幕府は累代の審議(あ)り
今幕府其職缺る時ハ
天朝の御安危将(に)こゝ(に)(あ)らんとす然る(を)
傍観し奉るは皇國の民として
皇國の民(に)(あ)らす幕府(を)匡正るを能(り)
さる時(り)吾亦其職(を)盡さるなり然者
天朝へ忠節幕府へ信義并盡して吾職も亦
盡す(へ)しと依て二州(に)かへ盡力せんと
自ら誓ひ去秋令を下し汝衆人(に)告布す
汝衆人異議なき故深く吾意(を)知るを悦ひ
決心盡力の處其位上下(に)貫徹し 官武の御間
御一和の端開き屢 叡感を賜ひ大樹公上洛
迄(に)相成り吾宿志初て達し天下の面目此事に
候續て攘夷期限(に)相成り候(に)付
天朝の御為先鋒の心得(に)て手初致し候事偏(に)
天朝幕府へ赤心(を)表し候積りの處幕議変動有之
叡慮と齟齬致し候ハ實に不堪痛哭(に)固より大
樹公(に)ハ聊かハ無る(へ)く候得共執政其職を
失ひ候湯ね叉々官武離間を生し有志の士
痛恨する所(に)候吾深く是(を)剰へ馬関へ使節船
下す其接小倉藩勅旨二背き慶援せず旁有志輩
忿懣(に)堪さる處故其船(を)借るの説起り
其佗の変動(に)及ひ候事頗る粗暴二近しと
いへとも實ハ
天朝を憂る赤心より起り候事二候吾慰論の
足さる處吾深く罪する(に)忍さるのところなり
吾亦最初より意を決し候事故二州ハ天朝の御為
如何様相成候ても是非盡力し其職(に)背(か)さる
積(に)て幕府の吾を信さるハ今更無詮方心得候
處幕府彌吾(に)不快加之奸徒の為め前月京師の
大変と相成最早正気盡果ん勢(に)て是叉吾精神
の足さ(る)處人(を)恨む(へ)き(に)非す實(に)
天下の人吾を知らさ(か)尤の事(に)て此度汝
等の中(に)さへ臣として其君(を)(ゑ)ら(れ)
黨議を生候事誠(に)可愧の至と相致候乍然其所
見誤なき(に)非す其言ふ處吾(を)愛る(に)出ると
いへとも却而吾職を盡さゝらしむる處なり元來
二州(に)(か)へ尊攘の議盡力致し候皇國 の民たる
職を盡す所存なれハ愈吾を助け其職を盡さ(ゑ)むるの
策を(か)むべし然る(に)臣子の職如何を顧ミす
二州を守れハ事満る様相致吾をして
天朝(に)背(か)しめおのれもまた吾(に)背く所以を
辨知せす唯一時の無事平穏を好むを上策と心得候者も
有之ハ難息の至り(に)て此上幕府今一屠激(に)出て
候節は益畏縮し天朝(に)ハ如何様の御変(に)被為在候
とも二州さへ守れハ宜しと相考候様に而ハ二州ハされ
置き幕府列藩とも逐(に)外夷の有と成行候儀眼前之事
候況二州ハ如何様成候ても自身の家さへ守れハ足ると
心得候道理に相當り甚以頼み少く致候若叉正気一歩
二ても退き候得ハ逆賊ハ彌勢を張り二州ハ次第(に)
退縮し守る(へ)く思う二州ハ決て守られす此所能々
熟考し京吾を愛するの心を推し吾を助けて各其職を
盡すを心とし萬人心を一(に)せは二州ハ一團の大生気と
相成り皇國を確守する(に)足る(へ)く暇令不(に)て二州
傾敗(に)至るとも御先霊へ對し可愧事無之候偏(に)君臣
の大義を明(に)し毎々申聞る通天朝への忠節凛然相立候
ハ今日の處置(に)有之候吾等父子皇國の民たる(に)負(か)
さる光明正大之道を存付候條此旨勘辨せしめ吾
等父子下知する處を謹而相守るへきものなり

        九 月
10月24日 晴。馬島春海と共に萩を発し、
 在三田尻の奇兵隊の営所に到着す。
※馬島は松陰門下。
 途中の日鯖山峠にて三条実美卿に拝す。
 この夜奇兵隊にて久坂義助作った舞曲の写しを見る。
 其文に曰く(以下原文欠)
10月25日 晴。隊員内海石太郎が割腹す。
 隊則を破るを以ってなり。
※内海は長府藩士。
 呉服屋で言えないような事をしたという(白石日記)。
 言えないような事ってなんだろう。

10月26日 晴。総督赤根武人の添書を持って、
 萩奇兵隊へ出発す。
※小瘡を患っている間に総督は3代目。
 既に生野の変で2代目の河上弥市は敗死。

10月27日 晴。今夜山口に一泊す。
10月28日 晴。帰萩。
10月29日 晴。清光寺屯集の奇兵隊に投ず。
11月5日 早天に萩奇兵隊が宮市に出張し、
 遊撃隊に加わるの命あり。今夜山口に一泊す。
11月6日 宮市に着陣。霊台寺に屯集す。
 当地屯集の遊撃隊は総督來島又兵衛
 撃剣隊(久保無二)、市勇隊(湯川章三)、
 神威隊(両国の神官の一隊、飯田竹太郎)、
 金剛隊(真宗の僧徒)、郷勇隊(農兵隊山田市之允)、
 狙撃隊(農兵で銃に精なるもの、北村金吾)、
 荻野隊(守永吉十郎)等なり。
※宮市は諸隊の一大陣営となっていました。
11月8日 晴。赤川敬三山縣初三郎と共に、
 三田尻の奇兵隊を訪問。
 この日山口城及び鯖山関門建設の計画あり。
 助勢として隊員若干名山口或いは、
 鯖山に至り土砂を運搬す。
 山口では諸郡の農民等が来てこれに加勢する。
 数千人また政府員も網笠を被り土砂を運搬し、
 銃隊砲隊など当地にあるもので、
 この役に従事せざるものなし。
※この一体感が長州藩の強さです。
12月19日 赤川敬三、澄川敬蔵と共に、
 三田尻の奇兵隊陣所を訪問。
 なお奇兵隊は明日を以って三田尻を発し、
 再び馬関防衛に出張するという。

つづく。
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