東京都文京区 高林寺/緒方洪庵墓所

高林寺は文京区向丘にある曹洞宗寺院。
慶長元年(1596)に神田に開山しましたが、
慶長9年(1604)に湯島西側辺りに移転。
この時代の境内から沸いた水が良質で、
その水を将軍家に献上した事から、
御茶ノ水の地名となったようです。
後の明暦3年の振袖火事で焼失し、
現在地に再建されました。


本堂」。
本堂は現在地に再建された後、
関東大震災東京大空襲で焼失し、
現在のものは昭和51年の再建とのこと。
見た目からは後に改修された感じですが、
これについては情報はありません。

高林寺墓地にある緒方洪庵の墓。

侍醫兼督學灋眼緒方洪庵之墓(右)」、
緒方洪庵先生夫人億川氏之墓(左)」。
蘭学者緒方洪庵の墓と妻八重の墓。
大坂の適塾で蘭学を教えていた洪庵は、
文久2年に伊東玄朴らの推挙により、
西洋医学所の出仕要請を受けますが、
健康上の理由で固辞していました。
しかし度重なる要請に断りきれなくなり、
江戸に向かう事を決断します。
奥医師兼西洋医学所頭取に就任すると、
老体に鞭打ってこれを務めますが、
文久3年6月に喀血して死去。
洪庵の遺骸は高林寺に埋葬され、
遺髪は大坂の海龍寺に埋葬されました。
隣は洪庵の妻億川八重の墓で、
適塾生より母のように慕われた女性。
七男六女を産んだほか、
適塾生にも我が子のように慈愛の心で接し、
洪庵を陰で支えた良妻賢母だったという。
洪庵と共に江戸に移住していましたが、
明治元年に大坂に戻ったようで、
明治19年に死去しています。
その葬儀には2000人の参列があったという。

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