黒井村は川棚温泉南西の集落で、
赤間関街道北浦道筋に沿って市が開かれ、
街道の宿駅となっていたという。
下関市街より県道244号を北上。
平成の大合併前の下関市と豊浦町の旧境に、
八本松峠と… 続きを読む
「中山忠光」タグアーカイブ
下関市安岡 安岡浦
安岡浦は長府藩領の漁村だった場所で、
名前の由来は神功皇后が岡に登り、
そこで安(休)んだ事に由来します。
古来より漁業が盛んであったようで、
多くの船が浦から出漁していたとされ、
対馬や朝鮮沿岸まで行っていたという。
いつの時代からかは不明ですが、
安岡浦の女性が頭に桶を乗せて、
鮮魚やアワビ、… 続きを読む
下関市豊田町 西市
西市(西ノ市)は赤間関街道北道筋の市宿で、
室町時代より市場が興った場所でした。
木屋川上流よりの産物が集められて、
月に6度も市が開かれたようで、
江戸後期には日本海、響灘、瀬戸内から、
海魚が運ばれて魚市場も発達して、… 続きを読む
下関市細江町 光明寺
光明寺は延徳年間(1489-1492)に、
真宗本願寺派8世蓮如上人の弟子釈正善が、
西市に御堂を建立した事に始まるとされ、
その後は内日、幡生へと移転して、
享保17年(1732)に現在地に移転したという。
「光明寺」。
大東亜戦争… 続きを読む
大阪府大阪市 長州藩大坂蔵屋敷跡
江戸時代の中之島や土佐堀南岸には、
諸藩の蔵屋敷が建ち並んでおり、
各地の米や物産が集められています。
大坂は天下の台所として賑わっており、
全国諸藩の蔵屋敷の数は、
最大で124軒にも及んだという。
大坂市中之島周辺(長州藩蔵屋敷跡の場所)
赤線が長州藩蔵屋敷のあった場所。… 続きを読む