中山忠光」タグアーカイブ

下関市安岡 安岡浦

安岡浦長府藩領の漁村だった場所で、
名前の由来は神功皇后が岡に登り、
そこで安(休)んだ事に由来します。
古来より漁業が盛んであったようで、
多くの船が浦から出漁していたとされ、
対馬朝鮮沿岸まで行っていたという。
いつの時代からかは不明ですが、
安岡浦の女性が頭に桶を乗せて、
鮮魚アワビ、… 続きを読む

下関市豊田町 西市

西市(西ノ市)は赤間関街道北道筋の市宿で、
室町時代より市場が興った場所でした。
木屋川上流よりの産物が集められて、
月に6度も市が開かれたようで、
江戸後期には日本海響灘瀬戸内から、
海魚が運ばれて魚市場も発達して、… 続きを読む

下関市細江町 光明寺

光明寺は延徳年間(1489-1492)に、
真宗本願寺派8世蓮如上人の弟子釈正善が、
西市に御堂を建立した事に始まるとされ、
その後は内日幡生へと移転して、
享保17年(1732)に現在地に移転したという。


光明寺」。
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大阪府大阪市 長州藩大坂蔵屋敷跡

江戸時代中之島土佐堀南岸には、
諸藩の蔵屋敷が建ち並んでおり、
各地の米や物産が集められています。
大坂天下の台所として賑わっており、
全国諸藩の蔵屋敷の数は、
最大で124軒にも及んだという。


大坂市中之島周辺(長州藩蔵屋敷跡の場所)
赤線が長州藩蔵屋敷のあった場所。… 続きを読む