島戸浦は角島対岸の本土側にある漁村で、
その名の通り角島への門戸で、
渡船が出ていた場所でした。
「島戸漁港」。
小型の漁船が多く碇泊しており、
イサキ等の釣漁を行っている他に、
釣客の瀬渡しもやっています。
遠くに見えるのは角島大橋… 続きを読む
「台場跡」タグアーカイブ
下関市壇之浦町 立石稲荷大明神
屋島の合戦で敗れた平家は西へ敗走し、
彦島を最後の拠点にしますが、
現在の立石稲荷大明神がある辺りで、
軍船が沈没してしまいます。
この軍船には京都の伏見稲荷大社から、
平家が勧請したご神体が乗っていたとされ、
この地に祠を建立して祀ったという。
「立石稲荷大明神」。… 続きを読む
下関市みもすそ川町 壇ノ浦砲台跡
長州藩は来たるべき攘夷戦争に備え、
壇ノ浦から櫛崎の間に砲台を配置。
その中心的なものが前田砲台ですが、
海峡の最も狭い壇ノ浦にも、
壇ノ浦砲台が配置されています。
「八十斤加農砲(レプリカ)」。
海峡に向かって並ぶ… 続きを読む
福岡県北九州市 和布刈神社/和布刈砲台跡
和布刈神社は早鞆の瀬に鎮座する神社で、
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀ります。
※天照大神の荒魂という。
仲哀天皇9年(200)の創建とされ、
神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝い、
自ら早鞆の瀬戸の和布を刈り、
神前に捧げて神護を感謝しました。
潮の満ち引きを司る海峡の守護神として、
多くの人々から崇敬を集め、
足利尊氏… 続きを読む
福岡県北九州市 芦屋台場跡
唐津街道芦屋宿近くにある芦屋台場跡。
「芦屋台場跡」。
福岡藩では領内海岸の防備の為に、
沿岸各所に台場を建設して藩士を配備。
芦屋にも文久3年頃に砲台が造られ、
農民が徴用されたようで、
大砲の打ち方を練習していたという。
「常陸丸殉難勇士之碑」。
台場跡碑の上の方にある慰霊碑。
明治37年に陸軍徴傭運送船常陸丸… 続きを読む