益田親施」タグアーカイブ

萩市須佐 笠松神社

長州藩永代家老益田家の領地であった須佐に、
三家老のひとり益田親施を祀る笠松神社があります。

親施は尊攘派の家老で、吉田松陰やその門下とも近く、
京都での尊攘運動にも奔走しました。… 続きを読む

周南市徳山 三家老幽閉之地

禁門の変の敗戦後、
指揮を取った三家老は自領で謹慎していましたが、
第一次長州征伐での降伏条件として、
三家老の切腹四参謀の斬首が要求された為、
3人は徳山に集められて徳山藩に預かりとなりました。

国司親相澄泉寺益田親施は… 続きを読む

長門市 大寧寺

大寧護国禅寺は、湯本温泉近くにある曹洞宗の寺院。
守護大名大内義隆が家臣の陶隆房の謀反に遭い、
山口を脱出してこの寺に逃れ、自刃した寺として有名です。
陶軍の攻撃により寺院は焼失しますが、
その後は毛利家の庇護を受け再建しました。


大寧護国禅寺本堂」。
再建された本堂は、寛永17年に再び野火によって焼失。
その時に焼け残った僧の寄宿寮が、現在の本堂だそうです。


姿見の池」。… 続きを読む

萩市須佐 育英館跡

須佐の郷校「育英館」は、益田家27代当主益田元道が開いた郷校。
益田家家臣の子弟教育の為の学校でした。

吉田松陰が33代当主益田親施山鹿流兵学の師であったことから、
松下村塾との交流があり、塾生交換が行われたました。

育英館から下記の塾生が松下村塾で学んでいます。… 続きを読む

萩市須佐 益田家墓所

益田家は長州藩の永代家老家で、
長州の北東端にある須佐を所領としていました。
益田家は鎌倉時代より島根県益田市一円を本拠としていますが、
主家の減封によって代々受け継いできた所領を手放します。

益田の隣である須佐が所領とされたのは偶然?
それとも、いつの日にか本拠を取り戻そうとしていたのか?
とにかく益田家は、江戸時代を通じて須佐の領主でした。

益田家が転封する以前は、一寒村であった須佐でしたが、
益田家20代当主… 続きを読む