第一次長州征伐の降伏条件として、
五卿の領外移転が決定。
五卿は筑前へ移転する事となります。
長州藩は大田絵堂の戦いの最中でしたが、
下関で留守を守る諸隊と伊藤俊輔は、
五卿の渡海を止める事は出来ず、
元治2年(慶応元年)1月14日に、
功山寺を出発して筑前に向かいました。… 続きを読む
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福岡県朝倉市 清岩寺/三奈木黒田家墓所
清岩寺は三奈木にある曹洞宗の寺院。
中世山城のあった茶臼山の山麓にあり、
元和年間(1615-1624)に黒田一成が建立し、
三奈木黒田家の菩提寺となりました。
檀家は家臣の子孫が多いという。
「本堂」。
始め下座郡屋形原村に建立され、
後に現在地に移転したようですが、… 続きを読む
大分県中津市 円応寺/河童の墓
福岡藩中老野村家の菩提寺は、
その所領鯰田の晴雲寺ですが、
代々の墓所はどこにあるのか不明。
福岡藩飯塚市 晴雲寺/野村家墓所
野村家は代々中老を務めた家柄で、
幕末の当主野村東馬は保守派に属し、
乙丑の獄での弾圧に関与しており、
維新後にその罪を問われ切腹しています。
その初代は… 続きを読む
福岡県福岡市 姫浜宿跡
かつての姪浜は姪浜千軒と呼ばれる程、
賑やかに栄えた町だったとされます。
商船を持つ商人達や漁業を営む漁民が住み、
そこに唐津街道が通って宿場が置かれ、
良質な塩を作る製塩業も行われて隆盛。
後の大正期には隣接する愛宕山の北側に、
姪浜炭鉱… 続きを読む
福岡県筑紫野市 原田宿跡
原田宿は長崎街道の6番目の宿場町。
長崎側に三国坂と呼ばれる険しい峠があり、
これを越える為の腹ごしらえとして、
はらふと餅が名物となっていました。
筑紫野市原田周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが原田宿跡。
南側から散策。
「原田宿跡」。
現在は家屋は更新され古い家は殆ど無し。
とはいえ元宿場の雰囲気を出そうとしてか、
微妙に道を蛇行… 続きを読む