小倉藩と福岡藩の藩境の境川。
その唐津街道沿いに架かる橋が宮川橋です。
「宮川橋」。
福岡藩側から撮影。
両藩の国境ながら番所の存在は不明。
境川は洪水の度に流れが変化し、
境界争い… 続きを読む
福岡県北九州市 宮川橋
コメントを残す
小倉藩と福岡藩の藩境の境川。
その唐津街道沿いに架かる橋が宮川橋です。
「宮川橋」。
福岡藩側から撮影。
両藩の国境ながら番所の存在は不明。
境川は洪水の度に流れが変化し、
境界争い… 続きを読む
博多津は那ノ津とも呼ばれ、
三重県津市の安濃津、
大阪府堺市の堺津と共に、
日本最古の海法である廻船式目において、
三津に数えられた海の要所。
※三津七浦として知られる。
大陸から近かった事から、… 続きを読む
文化5年(1808)にオランダ国旗を掲げ、
蘭船に偽装した軍艦が長崎港へ侵入し、
出迎えた蘭人2人を拿捕。
この船は英国軍艦フェートン号で、
蘭人拿捕後にイギリス国旗を掲げ、
水や食糧の補給を要求しました。
長崎奉行松平康英はこの要求を拒み、
佐賀藩… 続きを読む
住吉神社は筑前国一宮。
筑前国の一宮は他に筥崎宮があり、
一宮が2ヶ所ある事になっています。
筥崎宮は応神天皇を祀る神社ですが、
住吉神社は住吉三神を祀っており、
大阪の住吉大社、下関の住吉神社と共に、… 続きを読む
崇福寺墓地にある三奈木黒田家の墓所。
玄洋社墓地に隣接しています。
「三奈木黒田家墓所」。
三奈木黒田家は黒田一成を祖とする家。
一成は黒田官兵衛孝高の養子となり、
黒田長政の弟のようにして育てられ、
子孫は福岡藩の… 続きを読む
福岡県福津市にある宮地嶽神社は、
全国宮地嶽社の総本社。
玄界灘まで伸びる表参道には、
1年に2度だけ延長線上に夕日が落ち、
この光景が光の道として知られています。
「三の鳥居」。
一の鳥居… 続きを読む
第一次長州征伐の降伏条件として、
五卿の領外移転が決定。
五卿は筑前へ移転する事となります。
長州藩は大田絵堂の戦いの最中でしたが、
下関で留守を守る諸隊と伊藤俊輔は、
五卿の渡海を止める事は出来ず、
元治2年(慶応元年)1月14日に、
五卿は筑前に向かいました。
元治2年1月14日… 続きを読む