遊郭跡や古い街並みを紹介するサイトでは、
結構知られている下関の新地遊郭跡。
国道191号線沿いから遊郭跡の建物が見え、
その存在は知ってはいましたが、
近代に発展した遊郭と思っていた為に、
それ程興味はありませんでした。
でもよく調べてみると歴史は意外と古く、
享保年間(1716-1735)に成立した模様。
これは一度行って見ねばと、
幾度も通りながらスルーした街並みを、
今回は初めて歩いてみます。
元々赤間関… 続きを読む
遊郭跡や古い街並みを紹介するサイトでは、
結構知られている下関の新地遊郭跡。
国道191号線沿いから遊郭跡の建物が見え、
その存在は知ってはいましたが、
近代に発展した遊郭と思っていた為に、
それ程興味はありませんでした。
でもよく調べてみると歴史は意外と古く、
享保年間(1716-1735)に成立した模様。
これは一度行って見ねばと、
幾度も通りながらスルーした街並みを、
今回は初めて歩いてみます。
元々赤間関… 続きを読む
元治元年に禁門の変で長州藩は敗れ、
幕府による第一次長州征伐が開始。
これを受けて長州藩では俗論派が台頭し、
幕府への謝罪恭順が模索されます。
奇兵隊及び膺懲隊では幕府を迎撃すべく、
三田尻… 続きを読む
慶応3年に高杉晋作は死去しますが、
その遺骸は遺言により吉田に葬られます。
危篤に際して妾のおうのは遠ざけられ、
臨終や葬儀にも立ち会ってはおらず、
路頭に迷っていたとされていますが、
これを知った山形有朋や伊藤博文は、
おうのを出家させて墓守となる様指示。
山縣の草庵… 続きを読む
高杉家の菩提寺は萩の亨徳寺で、
明治期にその累代墓が建立されましたが、
平成4年に東行庵に移されました。
「高杉家祖先歴代墓」。
高杉家のルーツは安芸武田家とされ、
武田元繁が祖とされますが、
これについては諸説あるようです。
元繁の子とされる… 続きを読む
衣川宿は西近江路の宿場町。
起点の大津宿から出て最初宿場でした。
大津市堅田及び衣川周辺。緑の線が西近江路で、
青くぼかした辺りが衣川宿だった辺り。
「衣川宿跡」。
衣川宿跡は県道558号沿い。
主要道路の為か面影は殆ど無し。
地名的には道路西側が衣川で東側が堅田。
衣川となっていますがそのような川はなく、
北を流れる天神川… 続きを読む
唐崎の松は唐崎神社境内にある名松で、
松尾芭蕉の句[唐崎の松は 花より朧にて
大宮人の船 待ちかねる]や、
歌川広重の絵[唐崎夜雨]で知られます。
「唐崎神社」。… 続きを読む
[甲子残稿]は元治元年8月から、
11月までの間に高杉晋作が詠んだ詩集。
晋作は脱藩の罪により謹慎していましたが、
下関戦争の勃発によって許され、
藩命で山口に呼び出されました。
それから四国艦隊との和平交渉から脱藩… 続きを読む