長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
山代宰判の勘場は慶長17年(1612)に、
本郷に山代宰判勘場が建てられますが、
延享4年(1747)に行政区が2つに分割。
広瀬に前山代宰判勘場が置かれ、
元の山代宰判勘場は奥山代宰判勘場となり、
それぞれが統治されました。
このうちの前山代宰判勘場の陣屋は、
錦川南側の古土居に建てられました。
※広瀬郵便局と浄光寺の間の辺り。
後の安永5年(1776)には、
2つの行政区は再び統合されており、
勘場は本郷の山代宰判勘場に統一。
前山代宰判勘場の陣屋は取り壊されます。
その後の天保13年に再び2つに分割され、
前山代宰判勘場が再設置されますが、
この際には陣屋は建てられずに、
庄屋隅四郎右衛門宅に間借りされました。
「広瀬御本陣跡」。
前山代宰判勘場が間借りされた庄屋隅邸は、
民家として現存しています。
広瀬の庄屋を務めた隅四郎右衛門は、
長州藩から苗字帯刀を許されており、
山代往還の本陣に指定されていました。
この庄屋隅邸に勘場が間借りされ、
管轄区の行政を取り仕切っています。
隅邸の間取り(現地案内板より)。
宰判勘場は離れが利用されていたようで、
ちょっとした事務所程度だったようです。
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