熊本藩は年貢米を管理する米蔵を、
高瀬、川尻、八代の3ヶ所に置いていました。
文化年間(1804-1818)に熊本から、
大坂に贈られた米の量は最大40万俵とされ、
そのうちの約半数が高瀬から送られたという。
この為にその米の品質や量が、
収入に大きな影響を及ぼす事となった為、
厳しい品質管理が行われたようです。
「高瀬船着場跡」。
領内各地から舟で運ばれた年貢米を水揚げし、
品質検査後に大坂行の船に搬出した場所。
その遺構が状態よく残っており、
国の史跡に指定されています。
「俵ころがし跡(南側)」。
米俵をころがして水際に移動させた坂。
坂となった石畳が状態よく残っています。
「俵ころがし跡(北側)」。
俵ころがしは2つあったようで、
こちらの方が最初に造られた模様。
「揚場跡」。
こちらは揚場跡で搬入に使用したようです。
石段になっているようですが、
草が生えてでよくわかりません。
河原より俵ころがし跡を望む。
崩れもせずに綺麗に残っています。
ここから更に下流には晒船着場跡があり、
そこにも俵ころがし跡があるとのこと。
「熊本藩高瀬米蔵跡」。
集積した年貢米を検査/保管した米蔵跡。
「高瀬船着場(菊池川全図(一部)より)」。
この辺りは西南戦争の激戦地だったようで、
米蔵は戦火で焼失してしまいましたが、
石垣だけでも良好に残ったのは幸いです。
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