高瀬は菊池川に面した水運の要所で、
古くから商業地として発展していたという。
中世期には唐船も出入りしていたとされ、
多くの人と物資が集まったようで、
江戸時代には熊本藩領となって更に発展。
八代や川尻と並び五ヶ町のひとつと称され、
多くの藩の施設が建てられていました。
「高瀬町奉行所跡」。
高瀬周辺の町政を担う為、
藩によって設置された奉行所跡。
南北朝期の保田木城跡に建てられました。
跡地は駐車場及び保田木神社となっています。
「保田木神社」。
保田木城主であった菊池武尚と、
奈良期の国司道君首名を祀る神社。
「本堂」。
詳しい由緒については不明ですが、
奉行所時代にも祀られていた模様。
陣屋稲荷のようなものだったと思われます。
高瀬は町奉行の支配下にあり、
町奉行は町役などの代表による自治を求め、
彼らは会所で町政に携わっていたという。
町奉行は熊本より派遣されていますが、
その最後の奉行は後の明治天皇の侍講で、
教育勅語の草案に携わった元田長孚とのこと。
熊本新田藩10代藩主細川利永は、
慶応4年に江戸在住の藩士300家を引き連れ、
高瀬町に移って高瀬藩を立藩。
この高瀬町奉行所を仮藩庁として居住し、
正式な藩庁を建設を進めました。
明治3年に高瀬陣屋がある程度完成した為、
藩庁の移転が進められますが、
同年9月に熊本藩への統合が決定。
高瀬陣屋の建設は中止される事となり、
藩士らは熊本藩に編入されています。
この為に高瀬藩は僅か3年で消滅しますが、
事実上の政務が行われていたのは、
仮藩庁だったこの高瀬町奉行所のようです。
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