熊本県山鹿市 山鹿宿跡①

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山鹿宿は薩摩街道の宿場町。
※薩摩街道は豊前街道等の別名がありますが、
 当ブログでは薩摩街道に統一します。

古くから温泉町としても栄えていたようで、
平安時代の書物にもその記載があるという。
江戸時代に宿場町として整備されてからは、
更に隆盛して非常に賑わいを魅せていました。
細川忠利熊本藩に入封した際に、
山鹿に宿泊してその温泉を気に入った為、
寛永17年(1640)に御殿湯が建設され、
これが現在の「さくら湯」に繋がります。


山鹿市泉町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが山鹿宿跡。

南側より散策。

南構口跡(山鹿惣門跡)」。
菊池川に面する南側に冠木門が建てられ、
南構口になっていたようですが、
詳しい事は判っていないようです。


千代の園酒造」。
日本酒「千代の園」を醸造する蔵元
明治29年に酒造業を開始していますが、
元々は米問屋だったようです。
菊池川の水運により米が集められた為、
周辺には米問屋が多かったとのこと。


山鹿宿跡は宿場の雰囲気を今に残し、
多くの町屋が現存しています。
町を練り歩くのも楽しそうで、
観光客も多く見られました。


御客屋江上家跡」。
御客屋(本陣)を務めていた江上家の跡地。
この江上家は竜造寺隆信の子孫とされ、
九州征伐では豊臣秀吉が宿泊し、
熊本入封の際に細川忠利が宿泊したという。


火除け地蔵尊」。
街道沿いにある地蔵尊で、
元々像成寺という寺の惣門脇に祀られ、
寺が無くなった後も残されて、
2度の大火でも難を逃れているという。
この為に火除け地蔵尊と呼ばれるようになり、
現在も往来の人々の安全を見守っています。


さくら湯(山鹿御茶屋跡)」。
山鹿温泉の共同浴場
九州最大の木造温泉施設とされます。
熊本藩の御茶屋が建設されており、
湯屋が併設されて御殿湯となった場所。
維新後は「山鹿温泉」として改修され、
共同温泉施設「さくら湯」となりました。
昭和46年の大規模火災で延焼し、
隣のプラザファイブビルの一角に移転。
平成24年に和風建築で再建されて、
現在に至っているようです。
宮本武蔵篤姫夏目漱石も、
この山鹿温泉に入浴したとのこと。


孝子孫次郎君之尊像」。
鍛冶を生業としていた孫次郎は、
母を毎日背負ってやってきて、
母の好きなお湯に入浴させていました。
これを聞いた3代藩主細川綱利は、
寛文6年(1666)に孝子として褒章。
召し出して鍛冶の総取締に任じたという。


薬師堂」。
さくら湯の敷地内にある薬師堂
文明5年(1478)に温泉が突然枯れてしまい、
当時の湯主左近郷近宗が手を尽くしますが、
何をやっても湯は出ませんでした。
そこで金剛乗寺宥明和尚に祈祷を願うと、
和尚はこの薬師堂を建立して、
毎日丑の下刻に起きて祈祷を行い、
これが満願となると湯が湧き出てきたという。

つづく。
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