①/②
山鹿宿は薩摩街道の宿場町。
※薩摩街道は豊前街道等の別名がありますが、
当ブログでは薩摩街道に統一します。
古くから温泉町としても栄えていたようで、
平安時代の書物にもその記載があるという。
江戸時代に宿場町として整備されてからは、
更に隆盛して非常に賑わいを魅せていました。
細川忠利が熊本藩に入封した際に、
山鹿に宿泊してその温泉を気に入った為、
寛永17年(1640)に御殿湯が建設され、
これが現在の「さくら湯」に繋がります。
山鹿市泉町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが山鹿宿跡。
南側より散策。
「南構口跡(山鹿惣門跡)」。
菊池川に面する南側に冠木門が建てられ、
南構口になっていたようですが、
詳しい事は判っていないようです。
「千代の園酒造」。
日本酒「千代の園」を醸造する蔵元。
明治29年に酒造業を開始していますが、
元々は米問屋だったようです。
菊池川の水運により米が集められた為、
周辺には米問屋が多かったとのこと。
山鹿宿跡は宿場の雰囲気を今に残し、
多くの町屋が現存しています。
町を練り歩くのも楽しそうで、
観光客も多く見られました。
「御客屋江上家跡」。
御客屋(本陣)を務めていた江上家の跡地。
この江上家は竜造寺隆信の子孫とされ、
九州征伐では豊臣秀吉が宿泊し、
熊本入封の際に細川忠利が宿泊したという。
「火除け地蔵尊」。
街道沿いにある地蔵尊で、
元々像成寺という寺の惣門脇に祀られ、
寺が無くなった後も残されて、
2度の大火でも難を逃れているという。
この為に火除け地蔵尊と呼ばれるようになり、
現在も往来の人々の安全を見守っています。
「さくら湯(山鹿御茶屋跡)」。
山鹿温泉の共同浴場。
九州最大の木造温泉施設とされます。
熊本藩の御茶屋が建設されており、
湯屋が併設されて御殿湯となった場所。
維新後は「山鹿温泉」として改修され、
共同温泉施設「さくら湯」となりました。
昭和46年の大規模火災で延焼し、
隣のプラザファイブビルの一角に移転。
平成24年に和風建築で再建されて、
現在に至っているようです。
宮本武蔵、篤姫、夏目漱石も、
この山鹿温泉に入浴したとのこと。
「孝子孫次郎君之尊像」。
鍛冶を生業としていた孫次郎は、
母を毎日背負ってやってきて、
母の好きなお湯に入浴させていました。
これを聞いた3代藩主細川綱利は、
寛文6年(1666)に孝子として褒章。
召し出して鍛冶の総取締に任じたという。
「薬師堂」。
さくら湯の敷地内にある薬師堂。
文明5年(1478)に温泉が突然枯れてしまい、
当時の湯主左近郷近宗が手を尽くしますが、
何をやっても湯は出ませんでした。
そこで金剛乗寺の宥明和尚に祈祷を願うと、
和尚はこの薬師堂を建立して、
毎日丑の下刻に起きて祈祷を行い、
これが満願となると湯が湧き出てきたという。
つづく。
①/②
■関連記事■
・熊本県玉名郡 南関宿跡
薩摩街道の6番目の宿場町。
・福岡県みやま市 原町宿跡
薩摩街道の5番目の宿場町。
・福岡県みやま市 瀬高宿跡
薩摩街道の4番目の宿場町。
