高野山奥の院墓地/姫路藩酒井家墓所

奥の院墓地にある姫路藩酒井家の墓所。
姫路藩酒井家は酒井雅楽頭家とも呼ばれ、
酒井広親の次男酒井家忠を祖とします。
※広親の長男酒井氏忠左衛門尉家の祖。
5代当主酒井正親徳川家康胞刀役で、
その初陣にも付き従いました。
6代当主酒井重忠掛川城の戦いや、
姉川の戦いで戦功を挙げており、
伊賀越えでは家康を白子まで船で出迎え、
本国三河まで送り届けています。
豊臣秀吉により家康が関東に移されると、
川越1万石を与えられて大名となり、
江戸城留守居役も務めました。
関ケ原の戦いにも出陣しており、
開城後の大津城守備を担当。
後に厩橋藩3万3000石となっています。


姫路藩酒井家墓所」。
姫路藩酒井家となっていますが、
ここにあるのは厩橋藩時代のもの。


右側手前、
隆興院殿前拾遺発向源真大居士」。
左側手前、
松岸院殿前阿州太守雪窓玖白大居士」。
厩橋藩2代藩主(7代当主)酒井忠世の墓と、
厩橋藩3代藩主(8代当主)酒井忠行の墓。
※奥の墓碑は正室らのものです。
2代忠世は初代藩主重忠の長男で、
父とは別に川越5000石を拝領。
世継徳川秀忠の家老職を務めており、
秀忠が将軍となると筆頭年寄となります。
父の死後はその遺領を継いで、
自らの加増分を合わせ8万5000石を領し、
その後も加増で12万2000石となりました。
徳川家光が確定されると年寄衆となり、
家光が将軍となってからも幕政に参与。
寛永13年(1636)に大老に任じられますが、
就任間もなく死去しています。
3代忠行は忠世の嫡男に生まれ、
父とは別に板鼻藩2万石を与えられ、
秀忠や家光に父と共に仕えました。
忠世の死去に伴いその家督を相続し、
遺領と自領で15万2000石となりますが、
同年に37歳で病死しています。

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