京都府京都市 天龍寺

天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山。
暦応2年(1339)に後醍醐天皇の菩提を弔う為、
足利尊氏によって開かれています。
至徳3年(1386)には足利義満によって、
京都五山の第一位とされており、
子院150ヶ寺を数える大寺院となりますが、
幾度も大火の被害を受けて荒廃。
後に豊臣秀吉や徳川家康の寄進によって、
次第に復興を果たしました。
禁門の変では長州藩の本陣となり、
長州藩はこれに敗れた為に陣を退きますが、
薩摩藩兵が天龍寺に乱入して略奪を行い、
砲撃で火災も起きて多くの伽羅を焼失。
後に再建されて現在に至っています。


「総門」。
禁門の変での焼失を免れた総門。
正確な再建時期は不明ですが、
江戸時代初期か中期に再建されたもの。
通りに面している為に外国人観光客が多く、
人が途切る事はありませんでした。


「中門」。
こちらも焼失を免れた中門。
禅宗様の切妻造本瓦葺四脚門で、
慶長7年(1602)に造営されたもの。


「勅使門」。
中門の南側にある勅使門。
寛永18年(1641)に御所から移築されたとされ、
御所での建立は慶長期とされることから、
天龍寺最古の建物となっていますが、
表側は駐車場となってしまっており、
裏側からの撮影しか出来ませんでした。
※しかも写真もボケました。


「参道」。
中門から庫裏へ続く長い参道。
参道沿いには塔頭寺院が軒を連ねており、
その距離は約240mもありますので、
中門付近が火災を免れたのも納得。


「法堂」。
参道の南側にある法堂。
勅使門からの延長線上にあります。
参道から逸れているのはこの為。
焼け残った塔頭雲居庵の禅堂を移築し、
法堂兼仏殿としたもので、
本尊の釈迦三尊像を安置しています。


「庫裏」。
明治32年再建の庫裏は拝観受付となっており、
ここから伽羅内に入る事が出来ます。


「大方丈」。
こちらも明治32年再建の大方丈。
天龍寺境内の中で最大の建物であり、
正面と背面に幅広い広縁を持ち、
その外に落縁をめぐらせています。
本尊の釈迦如来坐像は平安後期の作で、
天龍寺創建よりも古いもの。


「曹源池庭園」。
方丈裏庭にある池泉回遊式庭園で、
後方の嵐山や亀山を景観に取り込んでいます。
作庭は夢窓疎石によるもので、
国指定特別名勝となっています。

元治元年6月28日。
京都に進発した長州藩勢のうち、
国司親相を総大将とする600~800の軍勢は、
※うち400は来島又兵衛率いる遊撃軍。
天龍寺を接収してその本陣としました。
7月18日の夜半に長州藩勢は守備兵を残し、
御所へ向けて進軍。
しかし長州藩勢は惨敗して来島も戦死し、
守備兵は敗残兵を迎える事となります。
国司はこれ以上の戦闘続行は不可能と、
天龍寺を放棄して撤退を開始し、
速やかに大坂方面に向かいました。
20日早朝の薩摩藩の攻撃の際には、
負傷者等の僅か十数名が残るのみでしたが、
これをあぶりだす為に砲撃が行われて、
天龍寺は徹底的に破壊されてます。
これは完全なオーバーキルであり、
何か別の手段があったかもしれませんが、
それは結果論というものでしょう。

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