6月21日。
潤い程度の雨。朝、月代をする。
当地の知人綿屋長兵衛に土産を渡す。
夕方、船方に案内で仁徳天皇陵などに参り、
すじかい橋の屋形船で酒宴した後に、
宿へ帰る。
6月22日。
心斎橋筋の書店秋田屋や鴻池、三井、
虎屋、岩城などを廻る。
昼頃に宿に帰って酒宴。早めに寝る。
6月23日。
下男を連れて町を散策。
夕方、綿屋長兵衛を訪ねる。
夜、天満宮に参拝。
6月24日。
博労町で樋を注文。
昼前、綿屋長兵衛の使いが来て、
大和、河内、和泉、摂津の地図を、
貸してくれた。
大変喜んでそれをすぐ描き写し、
下男に手紙を添えて返しに行かせる。
※24日まで尼崎の宿を拠点として、
周辺を散策しています。
大坂散策に尼崎は遠い気がしますが、
当時は舟で大坂の中心に行くことができ、
今より便利だったかもしれません。
6月25日。
①尼崎を出立。
常安橋を通り一里程の②広田大明神に参る。
近所に戎大神という社があるが、
修理中の仮宮でしかも夜中なので参らない。
十日戎が有名で参拝客で賑わうそうだ。
今宮の天下茶屋を通り③住吉大社に参拝。
大変立派な大社だった。
大社の南に大歳神社があるが小社で残念。
神職の家を訪ねたが会ってくれない。
社殿は小さいのに居宅は立派で、
心得違いも甚だしい。
堺に入り④大鳥神社に参拝。
神職に和泉国の大歳神社を訊ねるが、
わからないという。
更に信太郷の⑤葛ノ葉明神に参拝。
⑥福町に着いて柴屋新助の宿に泊まる。
※信仰する大歳神社があまりにもしょぼく、
しかも神職が怠慢で憤慨した様子です。
6月26日。
朝早く宿を出て東へ進む。
三里行った所に藤井寺があるが参拝ぜす。
河内国に入り大和川を渡る。
⑦龍田の大神に参るが粗末な社だった。
少し行って⑧竜田という町に泊まる。
宿は至って悪し。
※現在の龍田大社は立派です。
幕末期は粗末だったのでしょうか?
6月27日。
未明に宿を出て広瀬の河合神社に参拝。
ここも粗末な社だった。
⑨郡山の城下町に入り⑩奈良の町に入る。
小刀屋善助の宿に泊まり、
午後4時頃に奈良見物に出かけ、
興福寺の南円堂、東大寺の大仏殿、
二月堂、三月堂、春日大社を参拝した。
帰路は猿沢の池で涼みながら一献。
宿に帰ってすぐに就寝した。
6月25日から27日の行程。
6月28日。
少し遅く出立。石上神社に参拝し、
街道に出て大和神社に参拝。
夕立に遭い茶屋でしばらく休んだ。
近くの神社で雨乞いが行われていたので、
この雨はそのおかげだろうという。
しばらくして雨が上がったので、
大神神社に参拝。
長谷の胡麻屋又三郎の宿で宿泊するが、
この長谷の町は至ってよからぬ所であった。
※降雨が雨乞いのおかげという、
神仏を信じているのが江戸時代ですね。
長谷は至ってよからぬ所としていますが、
長谷は有名な長谷寺があります。
神道信者なのでよからぬ所なのか?
6月29日。
長谷から南方の山を登り、
榛原、三本松を過ぎ、
かたか村で昼食。名張の城下町に入り、
次の新田で井筒屋孫右衛門の宿に泊まる。
6月30日。
午前6時頃に宿を出る。
伊勢路に入り青山越え。
伊賀茶屋、伊勢茶屋という茶屋があったが、
至って粗末なもの。
峠を下ったところの垣内村で昼食。
4里歩いてはた村の万屋利兵衛邸に宿泊。
※はた村の正確な場所がよくわかりません。
文面から松坂の手前だと思います。
6月28日から30日の行程。
つづく。
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