つづき。
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3月9日。
当番につき早朝出勤。
今日も御参内で舞楽の上覧があった。
父上も御供で夕方帰宅。
武司伊三郎が泊まる。父上も話に参加。
舞楽之番敷振鉾三節
還城楽四人 仁和楽四人 伽陵頻四人
胡 蝶四人 太平楽四人
陪 臚四人 春庭花四人
散 手四人 陵 王四人 納蘇利四人
退出 長慶子楽斗
※舞楽の上覧について触れていますが、
以下は別人かと思うほど内容が変わり、
孝明天皇と徳川家茂の手紙全文が、
記されています。
以下、全文と訳。
今上天皇ヨリ将軍家へ被進セ候御書
一朕不肖之身ヲ以夙ニ天位ヲ踐ミ忝モ萬世無缺ノ金甌ヲ受ケ恒ニ寡徳ヲ
恥チ先帝ト百姓トニ背ン事ヲ恐ル就中嘉永六年以来洋夷頻ニ猖獗来航
シ国体殆ト云へカラス諸價沸騰シ生民塗炭ニ困ム天地鬼神夫レ朕ヲ何
トカ云ン嗚呼是誰ノ過ソヤ夙夜是ヲ思テ止事能ハス甞テ列卿武将ト是
ヲ議セシム如何セン昇平二百有徐年威武を以外寇ヲ制壓スルニ足サル
事ヲ若妄ニ膺懲ノ典ヲ肇ントセハ却テ国家不測ノ禍ニ陥ラン事ヲ恐ル
幕府断然朕カ意ヲ擴充シ十余世ノ舊典ヲ改メ外ニハ諸大名ノ参勤ヲ弾弛
メ妻子ヲ国ニ歸シ各藩ニ武備充實ノ令ヲ傳へ内ニハ諸役ノ冗員ヲ省キ
入費ヲ滅シ大ニ砲艦ノ備ヲ設ケリ實ニ是朕カ幸ノミニ非ズ宗廟生民ノ
幸也且去春上洛ノ廢典ヲ再興セシ事尤嘉賞スヘシ豊科ランヤ藤原實美
等鄙野匹夫ノ暴説ヲ信用シ宇内ノ形成ヲ察セス国家ノ期危殆ヲ思ハス朕
カ命ヲ矯テ軽率ニ攘夷ノ令ヲ布告シ妄ニ討幕ノ師ヲ興サントシ長門宰
相ノ暴臣ノ如キ其ノ主ヲ愚弄シ故ナキニ夷舶ヲ砲撃シ幕使ヲ暗殺シ實美
等ヲ本国ニ誘引ス此ノ如キ狂暴ノ輩必征討セスンハアル可カラス然リ
ト雖皆是朕カ不徳ノ致ス所ニシテ實ニ悔慙ニ堪ス朕叉惟ヘラク我ノ所
謂砲艦ハ彼カ所謂砲艦ニ比スレハ未ダ慢夷ノ臆ヲ呑ミ国威ヲ海外ニ顯
スニ足ラス却テ洋夷ノ軽悔ヲ受ン歟故ニ頻ニ願フ入テハ天下ノ全力ヲ
以テ攝海ノ要津ニ備ヘ上ハ山稜ヲ安シ奉リ下ハ生民ヲ保チ叉列藩ノ力
ヲ以テ各其要港ニ備ヘ出テハ敷艘ノ軍艦ヲ整ヘ無飫ノ醜夷ヲ征討シ先
皇膺懲ノ典ヲ大ニセヨ夫去年ハ将軍久ク在京シ今春モ複上洛セリ諸大
名モ亦東西ニ奔走シ或ハ妻子ヲ其国ニ返ラシム宜也費用ノ武備ニ及ハ
サル事今ヨリハ決シテ然ル可カラス勉テ太平因循ノ雑費ヲ滅省シ力ヲ
同シ心ヲ専ニシ征討ノ備ヘヲ精鋭ニシ武臣ノ職掌ヲ盡シ永ク家名ヲ辱
ル事ナカレ嗚呼汝将軍及各国大小名皆朕カ赤子也今ヨリ天下ノ事朕ト
共ニ一新セン事ヲ欲ス民財ヲ耗ス事ナク姑息ノ奢ヲ爲ス事ナク膺懲ノ
備ヲ厳ニシ祖先ノ家業ヲ盡セヨ若怠惰セハ特ニ朕カ意ニ背クノミニ非
ス皇神ノ霊ニ叛ク也祖先ノ心ニ違フ也天地鬼神モ亦汝等ヲ何トカ云ハン
文久四歳甲子春月
訳:朕は不肖の身で即位し天皇となったが、
少徳を恥じ先帝や百姓に背く事を恐れる。
在位中の嘉永6年以来、
洋夷が来航して猛威をふるい、
国体が安定せずに物価が沸騰し、
民は炭を塗られるように苦しんでいる。
天地鬼神達はそれを何と思っているのか?
ああこれは誰のせいなのか?
朝晩思ってもどうにもならないので、
諸大名らと協議してはどうだろうか?
200年以上も温存した日本の武威で、
外寇に対抗するべきと思うが、
戦って敗れれば国が亡ぶかもしれない。
幕府は朕の意思を汲み取り、
今までのやり方を改めて、
参勤交代制度を緩和して妻子を国に帰し、
各藩に武備充実の命令を出して欲しい。
諸経費を削減し軍備に充てるべきであり、
これは朕だけの願いではなく、
全国民の幸せの為である。
去年の春に上洛を再開した事は称賛する。
三条実美らが匹夫の暴論を信用して、
国内情勢を誤って国家の危機を招き、
朕の命を偽り攘夷の勅命を布告し、
暗に討幕を狙った長州藩士らは、
主を愚弄して外国船を砲撃し、
幕使を暗殺し三条らを匿うなど、
狂暴な輩であるから、
これを必ず征討してほしい。
しかしこれは朕の不徳の致すところで、
誠に悔しい思いを持っている。
また現在の軍備はまだまだ十分ではなく、
国威を海外に示せてはいない。
洋夷になめられているのではないか?
故に天下の全力を以て、
近海の要港の守備に努めて、
山稜や民を守り、
諸藩の力を以て各地の要港を守備し、
軍艦を揃えてしつこい醜夷を征討して、
朝廷の威厳を高めよ。
去年は将軍が在京し、
今年の春も上洛しているし、
諸大名もまた東西に奔走し、
妻子をその国に返している。
良い事である。
武備に費用を惜しんではならない。
平時の悪い支出を減らし力を同じく、
心を一つにして征討の備えを精鋭にし、
武家の統率に尽くして、
家名を辱めないようにしなさい。
ああ汝将軍や各国の諸大小名は皆、
朕の赤子である。
今より天下は朕と共に一新する事を願う。
民財を消耗することなく国防に尽し、
将軍家の稼業に努めよ。
これを怠慢にすれば、
朕の意に背くのみに非ず、
皇神の霊に背く事で、
歴代の将軍達にも背く事である。
天地鬼神もまた汝をどう思うであろうか。
文久4年甲子春正月
これに対する将軍の返事。
同御請
一去月廿七日拝見被仰付候
宸翰之叡旨者御即位巳来皇国災禍を悉く聖躬之御上ニ御反求被爲在
候勅諭ニて誠以恐惶感泣之至奉存候倩幕府従前之過失自反任候得者多
罪之至奉存候臣家茂不肖之身ヲ以徒ニ重任ヲ辱メ紀綱不振内外之禍乱
相踵頻年奉惱宸襟候而巳ナラス去春上洛之節攘夷之勅ヲ奉スト雖其事
實遂ニ難被行横濵鎖港之談判スラ未た成功之期限も難量折柄再命に依
テ上洛仕候上者極テ逆鱗ニ触レ厳譴ヲ可相蒙者素の覚悟仕候處意外之
宸賞ヲ奉蒙候而巳ナラス至仁之恩論ヲ以臣家茂井大小名ヲ赤子ノ如ク
御親愛将来ヲ御勤誡被爲在候條臣家茂一身ノ上ニ取リ海岳之鴻恩顧以
テ可奉報答様モ無之候自今以後萬事ノ舊弊ヲ改メ諸侯ト兄弟ノ思ヲ成
シ心力ヲ合セ臣子ノ道ヲ盡シ勉テ太平因循之冗費ヲ省キ武備ヲ厳ニシ
内政ヲ整へ生民蘇息致シ攝海防御者勿論諸国兵備充實仕洋夷ノ軽侮
ヲ絶チ砲艦ヲ厳整シテ遂ニ膺懲之大典ヲ興起イタシ御国威ヲ海外ニ輝
耀スヘキ條件等彌以勉勵仕乍恐宸襟ヲ奉休度奉存候事ニ御座候 乍併膺
懲妄挙仕間敷トノ叡慮之趣ハ堅ク遵奉仕必勝之大策相立候様可仕奉存
候横濵鎖港之御議者既ニ外国ヘモ使節差出候ニ御座候得共奮発勉勵仕
大計大議者委ニ国是ヲ定メ宸断ヲ奉仰皇国ノ衰運ヲ挽回シテ外ハ慢夷
ノ膽ヲ呑内ハ生霊ヲ保テ奉安叡慮上ハ皇神ノ霊ニ奉報下ハ祖先ノ遺志
ヲ継述仕度奉存候是則臣家茂之至誠懇祷ニ御座候依之此段御請奉申上
候臣家茂誠恐誠懼頓謹言
訳:去月27日に仰せつかった手紙の件
お手紙のお言葉は、
御即位以来の皇国の災害全てに、
お心を砕かれている様、
誠に恐惶感泣の至りにございます。
幕府による従来の過失、
多くの罪を反省している所存。
臣家茂の不肖の身を以て、
いたずらに重任を辱め、
紀綱振るわず、内外の災乱を招き、
天子の心を悩ましている事のみならず、
去年は攘夷の勅を奉ったといえど、
その事実は行われ難く、
横浜鎖港すら成功の期限も定まりません。
この度再命して上洛しましたが、
逆鱗に触れ厳しく咎められる事を、
覚悟しておりましたが、
意外な事にお褒めを奉り、
臣家茂や大小名を赤子の如く御親愛頂き、
将来までお考えて頂き、
臣家茂は一身の上に取り、
海や山の様に大きなこのご恩に、
どのように報いる事ができるでしょう。
今を以て万事の旧弊を改め、
諸大名を兄弟と思い、
心力を合わせて臣子の道をつくし、
努めて今までの出費を減らして、
武備を厳重にし、内政を整え、
民を蘇らせ、攝海の防御は勿論、
諸国の兵備を充実させ、
砲艦を整備し、征討の備えに奮起し、
御国威を海外に知らしめるべき事に励み、
天子の心を安んじ奉りたく思っています。
しかしながら暴挙は慎み、
大策を考えていることお伝え致します。
横浜鎖港は外国に使節を差し出しており、
これからも励んでまいります。
大計大議ある者に国是を定める事を任じ、
天子の判断を仰ぎ、
皇国の衰運を挽回し、
外は慢夷の肝を呑み、
内は生霊を保って叡慮し、
上は皇神の霊に奉じ奉り、
下は祖先の遺志を継承していく所存。
これ即ち臣家茂の誠実な願いです。
これにてこの件は返答とさせて頂きます。
臣家茂、誠に恐れながら申し上げました。
脈絡なく天皇と将軍のやりとりを記載。
※訳は僕がしたものですので、
少々の間違いはあるかもしれませんが、
大筋には合っていると思います。
これらの手紙は日記の少し前ではなく、
1月27日に天皇より出されたものと、
その返答なのですが、
その手紙の内容を知る事になったのが、
3月のこの日記が書かれたあたりという事。
講武所に回覧されたものを、
写し書きしたのでしょう。
これだけ書きながら、
その内容に関する感想などは無し。
天皇と将軍の文面をどうこう言うのは、
恐れ多いという事でしょうか?
つづく。
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