白井小助は寄組浦家家臣白井弥蔵の長男。
江戸藩邸で吉田松陰と起居を共にし、
それ以降親しく交友していたとされます。
松陰が伝馬町獄舎に入獄された際に、
金銭の差し入れを行っていた事で知られ、
後に松陰門下らとも親交しており、
英国公使館焼討事件にも参加。
高杉晋作… 続きを読む
投稿者「kii」のアーカイブ
山口県大島郡 残兵斬首跡
慶応2年6月に起こった大島戦争において、
一時幕府軍は周防大島を占領しますが、
丙寅丸の奇襲や上陸作戦での勝利により、
幕府軍は撤退して周防大島は奪還されます。
長州勢は敗残の松山藩兵を捕らえますが、
そのうち士分14名が斬首に処され、
その首が晒し首… 続きを読む
山口県大島郡 小松浦
周防大島に橋が渡されたのは昭和51年で、
それまでは渡船が唯一の交通手段でした。
小松浦は周防大島の北西に位置し、
古くから島の玄関として発展。
「地下上申絵図 小松(一部)」。
江戸時代には浦民18名が渡船業を請負い、
更には北前船… 続きを読む
山口県大島郡 大島宰判勘場跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、
裁判等が行われています。
大島宰判勘場は上関宰判管轄の一部を除き、
大島郡のほぼ全域を支配していました。
「大島宰判勘場跡(久賀農協会館)」。… 続きを読む
山口県岩国市 思案橋
日本中に思案橋と呼ばれる橋はありますが、
その多くは遊郭跡近くにあります。
遊郭は楽しいが散財してしまうので、
渡ろうか渡るまいか思案した橋でした。
ですが岩国市の思案橋は少し違い、
周辺に遊郭跡は存在しません。
渡ろうか渡るまいか思案した橋なのですが、
それは遊郭に行く為ではなく、
全国的に有名な錦帯橋を見る為です。
「思案橋」。… 続きを読む
山口県岩国市 桜井戸
元和8年(1622)頃に初代岩国領主吉川広家は、
通津に隠居して如兼と称して余生を過ごし、
茶の湯を楽しんだとされます。
如兼は[櫻井戸]と呼ばれた井戸の水と、
京都御所の[柳の水]を比較したとされ、
どちらも遜色ない水であったという。
如兼が広島藩家老… 続きを読む
山口県岩国市 清泰院/福原越後殉難碑
元治元年7月19日の禁門の変に敗れ、
福原越後元僴は長州に帰還。
7月23日に朝廷は長州追討の勅命を発し、
これを受けて幕府は征長軍を編成します。
攻撃は諸交渉により猶予されますが、
元僴含む三家老の切腹… 続きを読む