明暦2年(1656)。
大給松平家の支藩する豊後高松藩は、
隣の府中藩に転封となり、
旧領高松は幕府直轄地に代わりました。
豊後高松藩の陣屋は代官所へと変わり、
九州天領を支配する代官が赴任して来て、
同じく天領の日田代官所と交代で在勤。
後に代官は… 続きを読む
「大分県」カテゴリーアーカイブ
大分県臼杵市 月桂寺
月桂寺は臼杵藩稲葉家の墓所ですが、
残念ながら拝観お断りのお寺。
これは事前にネットで調べていて、
拝観出来ないのは知っていましたが、
とにかく行ってみる事を常としてますので、
とりあえず訪問しました。
「月桂寺」。
山門前の立札には拝観お断りの文字。
立派そうな寺院ではありますが、
やはり檀家以外は入れない模様。… 続きを読む
大分県別府市 明礬温泉
別府の大部分は天領だったようですが、
一部森藩久留島家領もありました。
これが明礬温泉のある旧速見郡鶴見村で、
森藩の飛地領であったようです。
寛文4年(1664)にこの鶴見村の照湯で、
渡辺五郎右衛門が明礬製造に成功。
寛文6年(1666)には更に高地にて、
本格的な明礬生産を開始しました。
これが現在の明礬温泉の地ですが、… 続きを読む
大分県別府市 永井亀吉墓所
井上聞多は別府での潜伏中、
侠客永井亀吉(灘亀)の子分となっています。
亀吉は豊前国長洲の漁師の息子で、
15歳で無頼の相撲取りを殺してから、
次第に賭博等の悪さを覚え、
更に侠客叉々村の喜三郎を喧嘩で殺害。
双方の殺人は正当防衛だったようですが、
2人も人を殺した為に地元には住めず、
別府に流れてきて… 続きを読む
大分県別府市 旅館若彦跡
元治元年9月25日。
井上聞多は山口政事堂からの帰路に、
湯田温泉袖解橋付近で刺客に襲われ、
瀕死の重傷を負いました。
一命を取り留めた井上は翌年、
外国人御用掛に任命されていますが、
下関開港に反発する攘夷派に狙われ、
別府へ湯治を兼ねて逃亡しています。
「旅館若彦跡(ソルパセオ銀座入口辺り)」。
旅館若彦… 続きを読む
大分県別府市 別府温泉
別府温泉は別府市内の温泉の総称ですが、
狭義には海岸沿いの温泉街を指し、
北浜温泉とも呼ばれました。
日向街道沿いにあった為に宿場となり、
湯治客も多かったようです。
別府市街周辺。緑の線が日向街道で、
青い線は安心院道。
青くぼかした辺りが別府宿跡。
南側から散策。
宿場の南端はわかりませんが、
今回は秋葉通りより北上してみます。
「別府秋葉神社… 続きを読む
大分県別府市 鉄輪温泉
鉄輪温泉は別府八湯の一つ。
日本最大の湧出量を誇る別府の中で、
その源泉の大半が鉄輪に集中しています。
建治2年(1276)に一遍上人が行脚の途上、
鉄輪を訪れた際に猛り狂う地獄地帯を鎮め、
湯治場を開いたのが始まり。
「いでゆ坂」。
長く続く石畳の鉄輪のメインストリート。
湯治場の面影を色濃く残しています。
「鉄輪むし湯… 続きを読む