西崦精舎は帆足萬里が開いた私塾で、
天保13年(1842)から約8年、
多くの門人達を指導した場所です。
また自身の学究や著作活動を行い、
「入学新論」や「東潜夫論」を著作しました。
「西崦精舎跡」。
西崦精舎があった場所は整地され、
当時の建物は既に失われていますが、
基礎や生活の痕跡は埋蔵されたままとのこと。… 続きを読む
「大分県」カテゴリーアーカイブ
大分県杵築市 山田墓地/羽柴家墓所
立石領主木下家11代木下俊清の墓が、
山田墓地という場所にあるとのことで、
その情報を頼りに行ってみましたが、
どこを探しても見つかりませんでした。
仕方なく後日杵築市教育委員会に連絡し、
本当に墓所があるのかを訪ねると、
山田墓地の最奥にあるとのこと。
そういう訳で再訪しましたが、
最奥らしき場所には何もない・・。
その奥は道が無かったのですが、
あきらめず道なき道… 続きを読む
大分県宇佐市 時枝陣屋跡
時枝陣屋は寄合席時枝小笠原家の陣屋。
時枝小笠原家は忠脩流小笠原家の分家で、
※忠脩流小笠原家=安志藩小笠原家。
中津藩時代に3代小笠原長胤が、
弟小笠原長宥に5000石を分与して成立。
当初は蔵米支給で領地は定められず、… 続きを読む
大分県豊後高田市 昭和の町
豊後高田は大正昭和期に大きく発展し、
賑わいを魅せた町でしたが、
昭和30年以降は人口が減少に転じ、
商店街は徐々に寂れていきました。
しかし平成12年頃から活性化が模索され、
昭和30年代の面影の残る町をテーマに、
[昭和の町]として観光地化。
現在は年間40万人が訪れるようです。
「豊後高田 昭和の町」。
昭和30年代築の建物が並びます。
写真はそれっぽくないですが、… 続きを読む
大分県豊後高田市 高田陣屋跡
島原藩の6万5000石の領地のうち、
2万7500石が豊前国及び豊後国にあり、
[豊州領]と呼ばれた飛地だったようです。
※豊後国国東郡1万4000石と、
豊前国宇佐群1万3500石。
藩の総石高の4割が[豊州領]にあった事や、
周防灘に面する交通の要所… 続きを読む
大分県国東市 三浦梅園墓所
梅園塾跡より南側に進んで三浦梅園墓所へ。
元々三浦家の墓所は旧宅の北側山中でしたが、
宝暦10年(1760)に梅園が父の墓を改葬し、
現在地に墓所を営んだようです。
「贈従四位三浦梅園先生頌徳碑」。
墓所への参道途中にある頌徳碑。
明治45年(1912)に従四位を追贈されており、
これを記念して建てられたもの。
「… 続きを読む
大分県国東市 三浦梅園旧宅
三浦梅園は江戸時代中期の学者で、
帆足万里や広瀬淡窓と並び、
[豊後三賢人]と称される人物です。
上記2人は江戸後期の人物で、
幕末初期には生存していましたが、
梅園は寛政元年(1789)に死去しており、
幕末の人物ではないのですが、
豊後三賢人のコンプリートの為に、… 続きを読む
