鹿児島県」カテゴリーアーカイブ

鹿児島県姶良郡 霧島山麓丸池湧水

霧島の山麓には至る所で湧水が湧き出し、
人々の上水道灌漑用水生活用水として、
古くから利用されていたようです、
湧水は霧島連山栗野岳に降った雨が浸透し、
35年の滞留期間を掛けて湧き出すという。


丸池(霧島山麓丸池湧水)」。
名前は… 続きを読む

鹿児島県伊佐市 辺見十郎太涙松跡記念碑

明治10年6月20日。
大口の戦いに敗れた雷撃隊隊長辺見十郎太は、
敗走する際に池田の松並木で馬を止め、
高熊山を振り返り遠望しながら、
死をとして固守すること四句あまり
 ついに要害の地高熊山をクソ鎮に奪わる。
 あぁ、わがことすでに終る
」と、
松の木に持たれて無念の涙を流したという。


辺見十郎太 続きを読む

鹿児島県伊佐市 馬越御仮屋跡

馬越麓菱刈家が治めていた地で、
馬越城の城下町であった場所。
永禄10年(1567)に島津家により攻略され、
永禄12年(1569)に島津家の領地となります。
江戸時代薩摩藩の直轄地となり、
馬越御仮屋が置かれて麓(郷、外城)が形成され、
中央より地頭が派遣されました。


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鹿児島県伊佐市 大口御仮屋跡

大口麓薩摩国北端にある外城で、
肥後国との国境近くにあります。
戦国時代には新納忠元が地頭と務め、
国境の備えとして睨みを利かしており、
江戸時代薩摩藩の直轄領となって、
地頭が詰める大口御仮屋が設置されました。


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鹿児島県伊佐市 薩軍無名兵士の霊碑

明治10年6月。
水俣の政府軍が大口へ侵攻しますが、
辺見十郎太率いる雷撃隊は、
これを迎え撃つ為に坊主石山に布陣。
6月18日に激しい戦闘が行われたようで、
雷撃隊は6月20日に撤退しています。

山之口霊苑という小さな墓地に、
雷撃隊の戦死者合葬碑があります。

西南の役薩軍無名兵士無縁者之霊碑」。
雷撃隊の撤退後の坊主石山には… 続きを読む

鹿児島県伊佐市 熊本隊戦死者墓地

熊本士族池辺吉十郎熊本隊を結成し、
西郷軍に参加して各地と転戦。
水俣から大口へ進軍する政府軍を抑える為、
辺見十郎太率いる雷神隊と共に、
人吉から大口へと移動しています。
明治10年5月4日。
水俣の政府軍… 続きを読む