毛利時親は鎌倉末期~南北朝時代の武将で、
毛利宗家3代当主で安芸毛利氏の祖。
越後佐橋荘南条と安芸吉田荘の地頭となり、
河内国の邸宅に住んでいたようですが、
南北朝の争乱で安芸国に下向し、
安芸国で毛利家の勢力を拡大させました。… 続きを読む
「防府市」カテゴリーアーカイブ
山口県防府市 三田尻御茶屋跡
参勤交代や領内巡視の休泊や、
迎賓の場として使用された御茶屋。
長州藩領各地に建設されていましたが、
現在は三田尻のもののみが現存しており、
修復保存されて一般公開されています。
「英雲莊(三田尻御茶屋跡)」。
昭和14年に防府市に寄付されますが、… 続きを読む
山口県防府市 浮野宿跡
浮野宿は西国街道の半宿。
富海宿と宮市宿の中継地として、
人足や馬が用意されていました。
「御国廻御行程記 牟礼(一部)」。
浮野宿は四丁五間(約450m)と短く、
そこに45軒の家屋が建っていたという。
防府市江泊町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが浮野宿のあった場所。… 続きを読む
山口県防府市 三田尻宰判勘場跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
勘場は御茶屋東側にあったようで、
代官以下藩役人として下代… 続きを読む
山口県防府市 徳性寺/毛利元倶墓所
徳性寺は右田にある浄土宗の寺院で、
天文5年(1536)に西雲寺として創建。
その後は廃れていましたが、
寛永2年(1625)に毛利元倶が右田に入封し、
翌年に正室松崎の方が死去してしまった為、
その菩提寺として再建されたようで、
寺号も徳性寺と改められました。
「本堂… 続きを読む
山口県防府市 阿弥陀寺/宍戸元続墓所
阿弥陀寺は東大寺周防別所として創建され、
※現在は東大寺別院。
住職は周防国司に任じられたとされます。
開基は東大寺を復興させた重源とされ、
重源は東大寺再建の用材を周防など調達し、
巨大な木材を奈良まで運んだという。
境内にはこれら事業に従事した… 続きを読む
山口県防府市 三田尻湊
三田尻は天然の良港であった為、
周防、長門の二国に減封された毛利家は、
毛利水軍を再編して御船手組とし、
下松を経て三田尻に移住させました。
これによって三田尻は長州藩の軍港となり、
御船倉や御船手組の住居などが整備され、
萩から三田尻を結ぶ… 続きを読む