戊辰戦争を最後まで戦い、
薩摩藩邸を焼き討ちしたこともあり、
庄内藩では厳しい処分を予想しますが、
予想外に寛大な処置が施されました。
この処置は西郷隆盛の指示であると伝わると、
庄内藩内で西郷の名声が高まります。
明治3年に前藩主酒井忠篤は、
長澤惟和と犬塚盛巍を薩摩に派遣。
2人は藩知事島津忠義… 続きを読む
山形県鶴岡市 敬天愛人碑
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戊辰戦争を最後まで戦い、
薩摩藩邸を焼き討ちしたこともあり、
庄内藩では厳しい処分を予想しますが、
予想外に寛大な処置が施されました。
この処置は西郷隆盛の指示であると伝わると、
庄内藩内で西郷の名声が高まります。
明治3年に前藩主酒井忠篤は、
長澤惟和と犬塚盛巍を薩摩に派遣。
2人は藩知事島津忠義… 続きを読む
庄内藩の藩校致道館は7代藩主酒井忠徳が、
文化2年(1805)に創設したもので、
当初山王社(現日枝神社)近くにありましたが、
文化13年に現在地に移されています。
現存する東北地方唯一の藩校建造物で、
講堂、御入間、表御門の他、… 続きを読む
庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
「松平親懐之墓」。
松平舎人家6代当主松平権十郎親懐の墓。
江戸で新徴組の御用掛を務め、
藩兵や新徴組を率いて江戸市中を取り締り、
丁卯の大獄では藩内改革派の捕縛。
不貞浪士を匿う… 続きを読む
庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
両敬家である松平甚三郎家もそのひとつ。
「英真院殿忠譽傑山久厚大居士」。
松平甚三郎家13代松平甚三郎久厚の墓。
秋田戦争では一番大隊の大隊長を務め、
二番大隊の… 続きを読む
庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
両敬家である酒井吉之丞家もそのひとつ。
「故荘内太夫酒井了恒君塋髪」。
鬼玄蕃と恐れられた酒井玄蕃了恒の遺髪墓。
慶応3年に酒井吉之丞家の11代となり、
戊辰戦争で… 続きを読む
庄内藩酒井家の菩提寺大督寺。
酒井家次が下総国臼井に転封した際、
酒井家の菩提寺として大信寺を建立し、
高崎への酒井家移封に従って移転。
酒井忠次正室碓井姫が死去した際、
その法号に因み大督寺に改称しました。… 続きを読む
庄内藩9代藩主酒井忠発は文久元年に隠居し、
江戸中屋敷の一部を解体し鶴ヶ岡城に移築。
文久3年、三ノ丸に御隠殿として完成し、
忠発はここで余生を過ごしました。
その後その広大な敷地を利用して、
旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署庁舎… 続きを読む