出水市の感応寺境内にある五廟社。
島津宗家初代当主島津忠久から、
5代当主島津貞久までの墓があります。
感応寺は文治3年(1187)に島津忠久が、
薩摩、大隅、日向三州守護職… 続きを読む
鹿児島県出水市 五廟社
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出水市の感応寺境内にある五廟社。
島津宗家初代当主島津忠久から、
5代当主島津貞久までの墓があります。
感応寺は文治3年(1187)に島津忠久が、
薩摩、大隅、日向三州守護職… 続きを読む
宮之城郷は薩摩藩の外城のひとつで、
宮之城島津家が私領として支配し、
御仮屋を中心に麓が形成されていました。
宮之城の地名は文禄4(1595)に、
北郷忠能が入封された際、
旧領都城に因んて改称されたとのこと。
「宮之城御仮屋跡… 続きを読む
昭和27年から37年にかけて、
宮之城町で融和事業及び失業対策事業、
並びに都市計画事業等が計画され、
これに基づいて墓地の整理が行われて、
前岡墓地、秋葉墓地、大道寺墓地、
西ヶ迫墓地… 続きを読む
佐志交流館の脇より山手に行くと、
興全寺墓地があり、
佐志島津家の祖御下姫の墓があります。
「桂樹院殿虚窓従伯菴」。
御下姫の墓。
宗家17代当主島津義弘の次女で、
幼名は千鶴であったとされ、
成長して御下と名乗ったとされますが、… 続きを読む
佐志郷は佐志島津家が領した外城。
佐志島津家の石高は3000石とされ、
御仮屋を中心に麓が形成されていました。
「佐志島津家御仮屋跡」。
佐志島津家の御仮屋跡は、
佐志交流館や佐志小学校のある辺り。
石垣… 続きを読む