吉田松陰の長崎紀行③ コメントを残す①/②/③/④つづき。嘉永6年10月10日。①大阪より早に舟を発して、②高砂に到りて泊す。嘉永6年10月11日。早に舟を発して③日比に到りて泊す。※上記2日は舟中泊の模様。… 続きを読む
吉田松陰の長崎紀行② コメントを残す①/②/③/④つづき。嘉永6年9月24日 晴。①袋井宿を発して②新井宿(新居宿)に宿す。肥後藩士津田山三郎、河瀬典次に邂逅す。※津田は熊本藩重臣で京都留守居役… 続きを読む
七卿落ち コメントを残す文久3年8月18日、八月十八日の政変が発生。大和行幸延期、急進派公家15人の禁足及び、長州藩を堺町門の警備の任から解き、京都からの退去が勧告されます。失脚した公家15人のうち、三条実美ら七人の公卿(七卿)は、※七卿は三条実美の他に、… 続きを読む
高杉晋作の航海日録③ コメントを残す①/②/③つづき。続航海日録文久2年7月5日。午後、蒸気船が来て本船を引く。支那人の水先が船主に代わり号令。逆潮を下って碇泊船の間を通る。初めは船針を北へ向け、右折して南東に向かい、また左折して北へ向かう。呉淞江に至る頃には日は落ちており、… 続きを読む
高杉晋作の航海日録② コメントを残す①/②/③つづき。文久2年5月4日。晴。昨夜聞いたように朝に良い風が出た。官吏が水が無くなりかけているので、今朝から風呂は海水を使うようにという。諸子は甚だ困った。朔日より今朝まで四方に山は見えない。午後も風は良好で諸子は大いに喜ぶ。海上には小島が見えたが、通鏡で見ると島ではなく船だった。※望遠鏡の事。これは唐船で… 続きを読む