文久3年2月9日夜。
中山忠光は再び岩倉具視を斬ると言い出します。
攘夷期限の決定や朝廷の言路洞開、
人材の登用の… 続きを読む
「中山忠光まとめ」カテゴリーアーカイブ
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天誅組以前の中山忠光②
天誅組以前の中山忠光①
下関市豊北町 夜討峠
中山忠光は北浦逃避行の末、
田耕で長府藩士によって殺されましたが、
彼らは忠光の遺骸を夜討峠まで運び、
一旦そこに埋めた後に掘り返し、
代わりに血染の衣を埋めています。
豊北町田耕周辺(夜討峠の案内板の場所)
夜討峠は地図の下太田と書かれたあたり。
田耕は地図右上の方向なのですが、
川沿いの街道を通らずに、
密かに山道を進んだようです。
※今回目指す石碑の場所は山中なので、
正確な場所はわかりません。… 続きを読む
下関市豊浦町 常光庵
元治元年7月9日。
中山忠光は上畑の常光庵で隠棲に入ります。
上畑は袋小路のような谷間で、
忠光の潜伏地としては最適な場所でした。
※現在は南側にトンネルが掘られ、
袋小路ではなくなっていますが、
当時は北側からしか行けませんでした。
豊北町北宇賀上畑周辺(常光庵の場所)。
現在も田園が広がるのどかな風景。
上畑自治会館より奥に入ると見つかります。
「常光庵」。
大専寺… 続きを読む
下関市豊浦町 大専寺
中山忠光は幕吏から逃れるために逃避行を続け、
湯玉浦の庄屋石川良平(後の山縣有朋義父)邸で、
2~3日過ごし宇賀本郷の大専寺へ移動します。
実際には幕吏なんて居なかったと思います。
長州領内で大々的な捜査は不可能でしょうし、
公式に大人数を長州領内に派遣して、
捕まりませんでしたでは面子が立ちませんので、
確かな情報がない限り動けないでしょう。… 続きを読む
下関市豊浦町 三恵寺
中山忠光の潜伏先のひとつ三恵寺は、
平安時代初期に実忠和尚が創建した寺で、
川棚温泉発見者怡雲和尚が再興したもの。
怡雲和尚が厄災に苦しむ人々の為に、
仏に祈り続けると枕元に薬師如来が現れ、
古来よりこの土地に棲んでいた青龍と、
病を治す不思議な温泉… 続きを読む