吉武地区コミュニティセンターの手前に、
早川勇の顕彰碑(銅像)があります。
「維新之志士 早川勇顕彰碑」。
早川は遠賀郡の農家に生まれ、
月形洗蔵の叔父である月形春耕に学び、
福岡藩医板垣養永に医学を、
洗蔵の父月形深蔵に儒学を学びました。
江戸で… 続きを読む
「福岡県」カテゴリーアーカイブ
福岡県宮若市 犬鳴御別館跡
所領に海岸線がある諸藩の多くが、
海側に藩庁を定めていますが、
これはとても理に適っていました。
海運という非常に迅速な交通手段が使え、
内陸の領地から米や物産を川を使って、
下流の城に運びこむ事も出来ます。
流通は財政を大きく左右しますので、
必然的に海側に藩庁が集まりました。
また防備の面でも非常に有利で、
海が巨大な堀の役目を果たしますので、
守り易いという利点もあります。
福岡城… 続きを読む
福岡県福岡市 明光寺/野村望東尼墓所
女流勤皇詩人野村望東尼は、
福岡藩の尊攘派弾圧事件乙丑の獄により、
糸島に流刑となっていたところ、
高杉晋作の指示により奇兵隊に救出され、
下関の白石正一郎宅に匿われました。
晋作を看取った後は三田尻に滞在。
戦勝祈願のため断食を行ったのが祟り、
慶応3年11月に亡くなっています。… 続きを読む
福岡県朝倉市 古心寺/秋月藩黒田家墓所
古心寺は秋月藩黒田家の菩提寺。
秋月藩初代藩主黒田長興が、
父の菩提を弔うために建立されたもので、
廃藩置県後に黒田家の庇護を離れたために、
本堂を甘木の光照寺へ移し、
山門を弥永の浄光寺に移して、
福岡藩初代黒田長政(長興とも)の… 続きを読む
福岡県朝倉市 秋月陣屋跡
福岡県福岡市 福岡城跡
黒田家以前の筑前領主小早川秀秋の居城は、
博多湾に突き出した丘陵の名島城でした。
名島城は防御には適してはいましたが、
立地的に城下町整備の余裕が無かった為、
その後に筑前に入封した黒田長政は、
福崎に新しく居城の建設を決定します。
黒田家ゆかりの備前国福岡にちなみ、
築城の際に福崎の地名を[福岡… 続きを読む
福岡県福岡市 崇福寺/玄洋社墓地
崇福寺墓地の玄洋社墓所に行ってみます。
「玄洋社墓所」。
玄洋社は旧福岡藩士らによる政治結社で、
大アジア主義を目指しました。
玄洋社は太平洋戦争敗戦までの間、
政財界に影響力を持ったとされています。
「頭山満先覚之墓」。
頭山満は幕末時はまだ少年でしたが、
明治初期に多発した士族の反乱では、
進藤喜平太… 続きを読む