立花内膳家は柳河藩家中最高位の家格で、
立花帯刀家と共に御両家と呼ばれました。
三池藩藩祖立花直次の三男立花政俊は、
島原の乱で甥の立花種長に代わり、
三池藩兵95名を率いて奮戦。
この功で2000石を与えられますが、… 続きを読む
福岡県大牟田市 立花内膳家墓所
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立花内膳家は柳河藩家中最高位の家格で、
立花帯刀家と共に御両家と呼ばれました。
三池藩藩祖立花直次の三男立花政俊は、
島原の乱で甥の立花種長に代わり、
三池藩兵95名を率いて奮戦。
この功で2000石を与えられますが、… 続きを読む
慧日寺は大牟田市岩本にある黄檗宗寺院。
柳河藩立花家菩提寺福厳寺の4世霊峰和尚が、
荒廃していた浄土宗永昌寺(栄勝寺)を再興し、
宝永2年(1705)に開山したものという。
「本堂」。
創建には柳河藩家老… 続きを読む
玉名郡長洲町にある立花誾千代の墓。
この墓は[ぼたもちさん]として親しまれ、
現在も地域の人々に管理されているという。
立花誾千代は立花道雪の一人娘で、
後継男子のいなかった道雪は、
誾千代に家督を相続させました。
後に高橋紹運の息子立花宗茂と結婚し、
その家督を夫に譲りますが、
紛れもなく立花家当主… 続きを読む
高瀬藩は熊本藩の支藩。
寛文6年(1666)に熊本藩3代藩主細川綱利が、
実弟細川利重に蔵米3万5000石を分与し、
熊本新田藩として立藩させています。
参勤交代を行わない定府大名だったようで、
藩主は江戸の鉄砲洲… 続きを読む
基肄城は基山山頂にあった古代山城で、
大宰府政庁南方8㎞に位置しており、
北側の大野城と共に政庁を防御し、
南側の防衛拠点となっていました。
天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本・百済連合軍は… 続きを読む
延壽王院は太宰府天満宮の留守別当の宿坊。
前身の安楽寺天満宮の頃よりあったとされ、
現在も宮司西高辻家の邸宅となっています。
「延壽王院」。
安楽寺初代別当菅原平忠は菅原道真の孫で、… 続きを読む
太宰府天満宮の門前六町のうち、
大町は門前町の中心地だったようで、
参拝者の為の旅館が軒を連ねていました。
現在も超有名な観光地である為、
年中通して非常に賑やかな町で、
名物の梅ヶ枝餅やお土産が売られ、
どこの店も観光客でいっぱい。
有名な[松屋]は薩摩藩の定宿であり、… 続きを読む