[九州地方]」カテゴリーアーカイブ

熊本県玉名市 高瀬船着場跡

熊本藩年貢米を管理する米蔵を、
高瀬川尻八代の3ヶ所に置いていました。
文化年間(1804-1818)に熊本から、
大坂に贈られた米の量は最大40万俵とされ、
そのうちの約半数が高瀬から送られたという。
この為にその米の品質続きを読む

熊本県玉名市 高瀬町奉行所跡

高瀬菊池川に面した水運の要所で、
古くから商業地として発展していたという。
中世期には唐船も出入りしていたとされ、
多くの人と物資が集まったようで、
江戸時代には熊本藩領となって更に発展。
八代川尻と並び五ヶ町続きを読む

熊本県玉名市 高瀬官軍墓地

明治10年2月下旬より高瀬から田原坂付近で、
西郷軍政府軍との間で激しい戦闘が行われ、
両軍に多くの死傷者が出ています。
この戦いで数千人の戦死者を出した政府軍は、
熊本県内21ヶ所に官軍墓地を設置しており、
高瀬にもその官軍墓地が建てられました。
この墓地には田原坂の戦い吉次峠の戦い続きを読む

大分県宇佐市 時枝陣屋跡

時枝陣屋寄合席時枝小笠原家の陣屋。
時枝小笠原家は忠脩流小笠原家の分家で、
※忠脩流小笠原家=安志藩小笠原家
中津藩時代に3代小笠原長胤が、
小笠原長宥に5000石を分与して成立。
当初は蔵米支給で領地は定められず、… 続きを読む

大分県豊後高田市 昭和の町

豊後高田大正昭和期に大きく発展し、
賑わいを魅せた町でしたが、
昭和30年以降は人口が減少に転じ、
商店街は徐々に寂れていきました。
しかし平成12年頃から活性化が模索され、
昭和30年代の面影の残る町をテーマに、
[昭和の町]として観光地化。
現在は年間40万人が訪れるようです。


豊後高田 昭和の町」。
昭和30年代築の建物が並びます。
写真はそれっぽくないですが、… 続きを読む

大分県豊後高田市 高田陣屋跡

島原藩の6万5000石の領地のうち、
2万7500石が豊前国及び豊後国にあり、
[豊州領]と呼ばれた飛地だったようです。
※豊後国国東郡1万4000石と、
 豊前国宇佐群1万3500石。

藩の総石高の4割が[豊州領]にあった事や、
周防灘に面する交通の要所続きを読む

大分県国東市 三浦梅園墓所

梅園塾跡より南側に進んで三浦梅園墓所へ。
元々三浦家の墓所は旧宅の北側山中でしたが、
宝暦10年(1760)に梅園が父の墓を改葬し、
現在地に墓所を営んだようです。


贈従四位三浦梅園先生頌徳碑」。
墓所への参道途中にある頌徳碑
明治45年(1912)に従四位を追贈されており、
これを記念して建てられたもの。


「… 続きを読む