松陰神社の駐車場の脇に、
薩摩藩士、長州藩士、土佐藩士が集まり、
密議した場所の碑が建っています。
「薩長土連合密儀之處」。
ここは鈴木勘蔵の営む旅宿があった場所で、
文久2年正月14日。
武市瑞山の書簡を携えた… 続きを読む
山口県萩市 薩長土連合密儀之處
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松陰神社の駐車場の脇に、
薩摩藩士、長州藩士、土佐藩士が集まり、
密議した場所の碑が建っています。
「薩長土連合密儀之處」。
ここは鈴木勘蔵の営む旅宿があった場所で、
文久2年正月14日。
武市瑞山の書簡を携えた… 続きを読む
萩の松陰神社は吉田松陰の実兄杉民治が、
実家の邸内に土蔵造りの祠を建立して、
松陰愛用の赤間硯と松陰の書簡を御神体とし、
その祠に祀ったのがはじまり。
その後、伊藤博文、野村靖ら門下生が、
宮崎八幡… 続きを読む
東光寺の大雄宝殿裏側奥は毛利家墓所で、
その手前には四家老の墓所と、
元治甲子殉難烈士の墓所があります。
彼らは元治元年の第一次長州征伐の際に、
藩内で主導権を握った俗論党により、
切腹したり斬首された藩士達でした。
これらは杉孫七郎… 続きを読む
毛利元就の長男であった毛利隆元は、
弟の吉川元春、小早川隆景に支えられ、
父元就と共に覇権を進めますが、
謎の急死を遂げてしまいます。
隆元の長男毛利輝元は幼少ながら跡を継ぎ、
祖父元就の後見によって政務が進められ、
山陰山陽の覇者となっていきました。
織田信長による中国侵攻を迎え撃ち、
後に台頭した… 続きを読む
長州藩毛利家の墓所は領内に4ヶ所。
藩祖毛利輝元の墓所である天樹院跡、
13代毛利敬親及び、
14代毛利元徳の香山墓地、
3~11代の奇数代の墓所である東光寺、… 続きを読む
長州藩永代家老益田家の領地である須佐に、
益田親施を祀る笠松神社があります。
益田家33代当主親施は尊攘派の家老で、
吉田松陰やその門下とも近く、
京都での尊攘運動にも奔走しました。
禁門の変… 続きを読む