佐波川の河口の開けた平地からなる防府市。
その中心部にぽつんとある独立丘陵が桑山。
別名を[三つ山][桑ノ山]、
雅名を[九華山]といいます。
元治元年8月、太田市之進、山田顕義、
品川弥二郎らが… 続きを読む
佐波川の河口の開けた平地からなる防府市。
その中心部にぽつんとある独立丘陵が桑山。
別名を[三つ山][桑ノ山]、
雅名を[九華山]といいます。
元治元年8月、太田市之進、山田顕義、
品川弥二郎らが… 続きを読む
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「長門市立菱海中学校」。
先大津宰判勘場があった場所は、
現在は長門市立菱海中学校になっています。
「… 続きを読む
朝日山招魂社は山口市秋穂にある招魂社で、
慶応元年に八幡隊によって創設されました。
ここは山口県内に数ある招魂場の中でも、
特にビッグネームの墓碑があります。
久坂玄瑞や入江九一、
吉田稔麿、寺島忠三郎などなど。
基本的にそれぞれの招魂場は、… 続きを読む
万倉領主国司家の屋敷跡が、
宇部市の奥万倉伊佐地にあります。
国司家居館跡。
領主の館らしい立派な石垣。
建物は残されていませんが、
お屋敷だった雰囲気は感じられます。
屋敷の敷地内に案内板がありますが、
かすれててほとんど読めません・・。
「贈正四位国司信濃御館址」碑。
この碑を建てたのは… 続きを読む
国司家の菩提寺天龍寺のすぐ横の神社。
「広矛神社」。
元々は若一王子神社と称し、
鎌倉時代建立のようですが詳細は不明。
大己貴神、事代主命、武御名方命が祭神。
代々万倉領主の庇護を受け、
社殿も数度の修造をされており、
棟札も残されているようです。… 続きを読む
宇部市万倉にある天龍寺に、
三家老のひとり国司親相の墓所があります。
「天龍寺本堂」。
天龍寺は万倉領主国司家の菩提寺。
本堂は最近の建物のようです。
「国司家墓所」。
7、10、12~21代当主の墓所。
7代国司元相は130余の首級を挙げ、
足利将軍にも認められた槍の名手ですが、… 続きを読む
禁門の変の責で自刃した三家老の国司親相。
彼を祀る万倉護国神社に行ってきました。
「万倉護国神社」。
幕末の万倉領主国司親相と、
その家臣26名を祀る峠山招魂場が、
奥万倉土井に建立されていましたが、
それとは別に昭和17年に万倉村民により、… 続きを読む